歩き倒せば、その街を深く知れる

アイディア

衝撃のベルリン1日目を終えて2日目。

2日目を一言で表現すると体力の限界への挑戦

軽く見積もって、30キロくらいは歩いた。

スーツケース諸々含んだ荷物を持って歩いたのでちょっとした修行である。

まだまだ私は現役でイケると確信することができた一日であった!

今、こうしてネット環境のある快適なユースホステルのロビーでいられるから、こんな流暢なことを言っているのだが。一時は、野外で眠ることを覚悟したほど追い詰められたこともまた事実である。

2日目の午前中は、住む家のリサーチ。

事前にインターネット上でベルリンでは家が見つからないとは何度も見ていたが、

なぜか自分に限っては現地に行けばなんとかなると変な自信を持ってベルリンに来たわけだが、家見つけるん至難のワザでしょ。連絡しても返事ないし。これ、本当に家決まるの?っていうのが今の気持ち。

決まった場所で安心して眠れるって幸せなんだな。数日間、旅行で行くのとは違ってその場で生活していくことを考えると、決まった寝床がないのはやはりメンタル的にもダメージが大きい。こんな不安な気持ちになるとは思わなかった。つらい。

しかし、ずっと情報検索していたところで何も変化は生まれないので、ただただ行動あるのみ。

今日はベルリンの街の雰囲気を少しでも感じ取りたいと考え、赴くままに歩き始めた。なぜなら私は新しい街に来たときはひたすらに歩き回ることがその街を知ることができる。最良の手段であるという哲学を持っているからだ。

公共交通手段を使って移動してしまうと、日常の営みを感じ取ることは難しい。

テクテクとなんとなく歩いていくと、住宅街らしきところに入っていったのだが、そこはまさに映画のセットのような場所ばかりである。


こんな場所を歩く自分に、「ここで僕らは生活していくんだ。」と囁きながらをトコトコと歩いていく。

さらに、しばらく行くとカフェやスーパーがちょこちょこと姿を見せ始めた。

街のスーパーに行けば、そこでの営みや価値観がわかってくる。

そう思い、ベルリンに来て初めてスーパーに入ったが、日本のスーパーとは全くの別物である。ザ・ナチュラル。

スーパーについて書き出すとたくさん書きたくなってしまうので、ここでは購入したパンの話だけに。

上記のパン。0.39ユーロ。50円くらい。普通にデカくて、うまい。外はパリッと中はしっとり。これにチーズとハム挟んだらうまいだろうな〜と思いながら、ここではパンだけかじった。


ドイツのパンはとにかく日本人の感覚からすると安い。ただコメ好きな人にとっていただけないのが、コンビニで売られているようなおにぎりだと2.99ユーロ。400円くらい。

えっっ? え〜???てなりました。

パンを完食してからズンズン歩いていくと、次に見えてきたのは・・・


ビーチバレーコートが!それも何面も。その名もBeach Bar。オシャレなネーミングである。ビールを飲みながらビーチバレーをするドイツ人が頭に浮かんできた。ベルリンにビーチバー?砂浜にビーチチェアー、ビーチパラソル。

海がないから砂浜作りましたっ!っという斬新さに興奮を隠しきれない私は、思わず何かヌルッとした感触のものを踏んでしまった。

あっ・・・ウン○。

なんということでしょう。

一足して持っていないマイシューズが。なんて出来立てホヤホヤなこと。フレッシュ!

ウン○踏んだのは正確には覚えていませんが、多分20年ぶりとかじゃないでしょうか。

久しぶりにウン○を踏んだ地がベルリン。運命を感じずにはいられないですね。

さて、臭いを気にしながらテクテクと歩いていくうちに、大きな公園が広がり、そこには何やら古びた壁が続いていました。


ベルリンの壁です。

私、歴史についての知識はかなりショボイのですが、この壁のことは知っていましたし、なぜか惹かれるものがありました。一部がこうして、歴史を忘れないように残されているようです。

これは壁の断面図を撮影した写真です。右側が旧東ベルリン。左側が旧西ベルリン。

この壁を境に世界が完全に分断されていた時代が数十年続いていた。しかもそれは、私が生まれてすぐくらいまで続いていた。

この事実はなんとなく知ってはいましたが、教科書の中の話でした。でも、一気にリアルな歴史として理解できました。

この日、目指してもいなかったベルリン壁を見ることもできテンションの上がった私は、スイスイと街を歩いて行きました。

こうした前向きな精神でいると様々な出会いができるのでしょうか。

日本の小道具を販売しているお店が目に飛び込んできました。

そこには日本人女性がいました。話を聞いてみると、ドイツで永住権をとって生活しているそう。

今日に至るまでの彼女の話を聞いていたのですがそれはそれは波乱万丈。彼女のことを書くだけで、記事が書けてしまいそうです。江戸時代の傘や鏡。タンスなど、希少な品々が所狭しと並んでいました。

その後、本日の最終目的地である文具店、ソワレというお店に行ってきました。脱サラして、起業・海外移住というかなりリスクのある選択をされた方。ガツガツしたイメージを抱いていましたが、とっても物腰の柔らかい方でした。

リスクとってチャレンジしていける人って何が起こっても動揺したり、焦ったりせずに「そうゆうこともあるよね〜。じゃどうしよっかな〜。」って感じで地に足つけて前に進んでいける人なんだろうな。

ひたすら歩くという選択肢を行使したことによって、ベルリンの生活や歴史、そして、自分の仕事に誇りを持って生き抜く日本人2人に出会うこともできました。

ちゃんちゃん。

Saika Yuta
written by

1987年生まれ。小学1年でバレーを始める。小·中学校時には計4回全国大会に出場。中学3年時は香川県代表の主将としてJOC出場。高校では、進学校にて春高出場を目指す。大学進学を機にバレーから離れるが高校教員となりバレー指導に没頭するように。そんな日々の中、バレー選手になるという夢を諦めきれていない自分に気がつき、教員を辞めバレー選手となるためドイツ·ベルリンへ。生活基盤が整い始めた矢先、息子が大怪我をして急遽帰国。息子の回復後は北海道へ移住しクラブを設立し、コーチングを生業とするように。その後、縁あって仙台市を拠点に活動するリガーレ仙台(当時:V2リーグ)のヘッドコーチに就任。ワンシーズン指揮を執る。2024年7月より、シンガポールの育成クラブにてコーチング活動に従事。

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