未知の世界には学びと衝撃しかない

アイディア

無事、ベルリンに到着して安心したのも束の間。

現地時間でちょうど14時に到着したが、まずは初日の宿を決めないといけない。

空港近辺は少し田舎な感じなので、まずは中心地に行けば様々な情報に触れられるだろうと期待を寄せ、中心地に向かおうとする。

しかし、私はインターネットからの事前に調べた情報からプリペイドSIMカードをどこでも簡単に購入できると聞いていたため、SIMの入っていないSIMフリー端末だけ持参していた。

しかし、当然ながらSIMの入っていないスマホは全く役に立たない。

SIMの入っていないスマホは高機能なカメラがついたスーパーミニワープロといったところだ。空港から街にどうやっていくのか、というかどこが街なのかすらわからない(普通は先に調べるだろう)。

行き当たりばったりにも程がある。異国の地でスマホがないと本当に困るものだなあと思いながらも、

右向け右の精神で、現地の人らしい人々や観光客一団と思われる自分はどこに向かおうとしているのか明確そうな人たちにただただついていく。

チケットを購入するときも、

『Center of Berlin!』

と何度も叫びながら言われるがままにクレジットカードを手渡し、電車に乗り込んだのである。

しかし、乗ったはいいがどこで降りるのか分からない。ひとまず車内の路線図を見て、多くの電車が停まりそうな駅を選択してそこで降りることに。

そして、その駅こそ後で分かったのだが、まさに僕の叫んでいた、ベルリン中央駅(ベルリンちゅうおうえき、ドイツ語: Berlin Hauptbahnhof)であった。

(お〜自分の勘が当たっていた。いきなり奇跡を演出してしまった。この先が怖い。)

そして、駅を降りた私は完全なる情報弱者から情報強者に成り上がるためにSIMカードをゲットしようと動いた。どこでSIMカードを買えるのかを駅内に数カ所設置されたインフォメーションブースに行き、できるだけ優しそうなお姉さんに英語で質問してみる。

もしかしたら英語が苦手かもしれないから、ちょっとゆっくり発音してわかりやすい表現をしてみようと、少し優しい気持ちで話しかけてみると・・・。

はい。そんな気遣い必要ありませんでした。。遥かに私よりも英語が達者でした。

ドイツ・ベルリンに住む人たちは英語のレベルが高いと聞いていましたが、ベルリン中心地ではやはりその通りなのでしょう。

久しぶりに外国人と英語で話をして、思った以上に言いたいことがスムーズに言えないなと思いながら、SIMカードを買いに行く。そして、私は日本でいうところのヨドバシカメラ的な電機ショップ?、MEDIA MarktにてSIMカードを購入することとなった。

ネットで事前に調べていた情報だと、簡単にプリペイドSIMを購入できるとあったが、テロ対策などの関係上思ったより手こずってしまった。

参考記事:ドイツはプリペイドSIMの販売規制が開始 SIMフリースマホユーザーは注意

運よく親切な店員さんに巡り合い、人生初プリペイドSIMについて解説を長々としてもらい、納得して購入。初期設定にはパスポートが必要だったりしたので、ドイツ語が全くできない私には本当に有難かった。

無事、プリペイドSIMカードデビューを果たし、早速そのスマホを片手にグーグルマップを駆使しながら、親切な店員さんに教えてもらったユースホステルへ。

グーグルマップ最高。

誰にも負けないと自負している方向音痴な私でも迷うことなく目的地に到着。ここでも親切な店員さんにガイドされるまま、一番安い部屋、『dorm』と呼ばれるいわゆるドミトリーの部屋に決定。15ユーロ。約二千円というところでしょうか。悪くない。

よしよし!と思いながら、鍵を渡されて入った部屋に入ると、衝撃が私を待ち受けていた。

なんだ、この香り(異臭)は!!!!

グローバルな香り?(獣のニオイ?)

部屋の第一印象はただただ『香り』

オーマイガー。オーマイガー。高くても個室にした方がよかったか・・・。

しかし、変更などできるはずもなく3名の外国人(ナイジェリア人とインド人と●○?人←何度聞き直しても聞き取れなかった。すごい訛りでした。)としばし談笑(あまり笑いはなかった)。

ナイジェリア人のおっちゃんは親切だったが、インド人の青年(?)は激しいなまりを持っており、集中して話を聞いても英語とそれ以外の言語が混じっているようにしか聞こえない。また、僕が荷物の整理をしているところに突然早口で話しかけてきたが、聴き取れず「??」な反応したら、ちょっと切れ気味。さらに、大声で電話をはじめる。う〜ん。嫌な感じ。

驚くほどのカオスな部屋の中ではあったが、50時間以上は横になって寝ていなかったため意識が朦朧としてくる。

とても安心して眠れる状態でないことはわかっている。

初対面の外国人3名を目の前に、僕は意識を完全にOFFにしてしまってもいいのだろうか。

僕のほぼ全財産とも言えるモノたちを手放した状態で、意識を失ってしまってもいいのだろうか。

しかし、僕に正常な思考をする能力は残っていなかった。19時頃からの爆睡。少しの思考力を使い、スマホとパスポートだけはなんとかまくらの下には潜り込ませた。

ときたま、大きな喋り声に目が覚めるが体は動かず。最大の『衝撃』であった香り(異臭)のことなど、なんの気にもならなくなっていた。そんな自分が怖い。お風呂に入りたいと思う瞬間はあったがどうでもいい。1週間もし僕がお風呂に入らなかったとしても、その部屋の香り(異臭)を超えることはできないと思った。

そんなこんなで朝の6時には目が覚めて、思考能力が回復していたのでそそくさと荷物をまとめてホステルのラウンジにて、こうしてブログを綴っている。

今日は、完全にただの日記になってしまったが、直近はこんな感じになりそうだ。

未知の世界には学びと衝撃しかない。

そう思うベルリン1日目であった。

直近は話のネタに困らないだろう。他にも書きたいことがたくさんあるのだけれども、後々ゆっくりと書こうと思う。日本にいては、こんなに書きたい、伝えたいという欲求は生まれていなかったかもしれない。

僕はこの一日をおそらく死ぬまで忘れない。

特に、あの部屋に入った『衝撃』の香り(異臭)を。

Saika Yuta
written by

1987年生まれ。小学1年でバレーを始める。小·中学校時には計4回全国大会に出場。中学3年時は香川県代表の主将としてJOC出場。高校では、進学校にて春高出場を目指す。大学進学を機にバレーから離れるが高校教員となりバレー指導に没頭するように。そんな日々の中、バレー選手になるという夢を諦めきれていない自分に気がつき、教員を辞めバレー選手となるためドイツ·ベルリンへ。生活基盤が整い始めた矢先、息子が大怪我をして急遽帰国。息子の回復後は北海道へ移住しクラブを設立し、コーチングを生業とするように。その後、縁あって仙台市を拠点に活動するリガーレ仙台(当時:V2リーグ)のヘッドコーチに就任。ワンシーズン指揮を執る。2024年7月より、シンガポールの育成クラブにてコーチング活動に従事。

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