安全地帯と危険地帯

アイディア

安全地帯

この言葉を聴いて、あなたはどんなイメージを連想するだろうか。人によって様々だとは思うが、私はこの言葉から「赤ちゃんにとっての母親」を真っ先に連想した。これには1歳10ヶ月になる息子がいることが関係している。

私の息子はスーパーマザコンである。朝の第一声は「かかぁ~(母を表す)」である。たまに母を差し置いて「ボーボー(ボールを表す)」が第一声になってしまう点には幾分かの不安を感じているが、割合的には「かかぁ~」の勝利である。

ちなみに今日は「ととぉ~(父を表す)」と第一声。「よっしゃー!」とガッツポーズである。

なんにせよ、彼は一番多くの時間を母と過ごしており、そこが安全だと感じているようだ。特に眠たいときは、私がどんなに頑張っても無力であり、母親が寄り添うと一発で泣き止み、即入眠するということもしばしばである。

うちの息子は母という安全地帯ができてから、プチ危険地帯に足を踏み入れている。こうして徐々に安全地帯を基地として、危険地帯への侵入を企てているわけである。最近では、ショッピングモールでも後ろを振り向くことなくどこまでも走っていってしまうことがある。

こうした彼の成長を見守る中で感じるのは、人間には安全地帯をベースにして危険地帯へと踏み込んでいくという本能が刻み込まれているということである。ずっとお母さんと一緒にしていれば危険はないのにどんどん未知なる場所を開拓していくのである。

そんな彼を見て、一人反省会を実施してみた。自分は日々の中でどれくらい危険地帯に足を踏み入れているのだろうか。どれくらいの時間を危険地帯で過ごしているのだろうかということである。

私は多くの時間を働くことに使っているが、ここ2、3年を同じ職場で働いていると毎年の流れが分かり、仕事はある程度要領を得て、それなりに早く仕事が終わるようになる。そして、いつしか自分が仕事ができるようになったと錯覚しそうになることもある。

しかし、少し振り返ってみると、やっていることは多くの面で毎年同じことの繰り返しになってしまっている。一日の中に危険地帯への進行がほとんどないように感じるのだ。

息子の毎日と自分の毎日を照らし合わせてみると、正直自分に対して危機感や違和感を感じずにはいられなかった。そこで、どうすれば息子のように危険地帯へ侵入していけるのかを必死に考えてみた(私は心から息子を尊敬している)。

そして、その答えは至ってシンプルなのだ。

絶対的な安全地帯(息子にとっては母親)を持った上で、新しくやってみようと思ったことを全力でやる。

私にとっての絶対的な安全地帯はベタだとは思うが間違いなく家族である。これさえ、失わなければ大抵のことは気にならないと思える。

人によって安全地帯が何かは違うけれども、これだけははっきり言える。

自分でつくってきた安全地帯は信じてもいいけれど、人によって与えられた安全地帯を信じてはいけない。

これは他人を信じてはいけないということでない。何かあったときに責任を他人に転嫁しないための考え方だと思っている。責任に他人に転嫁するということは、自分の人生に責任を持たないこと、つまりは自分の人生を生きていないことになると僕は思っている

だから僕は安全地帯を大事にしながら、毎日もっともっと危険地帯に足を踏み入れていこうと思うのだ。

あなたにとっての安全地帯は何ですか。

その「安全地帯」があれば、どんな「危険地帯」に足を踏み入れたいと思いますか。

Saika Yuta
written by

1987年生まれ。小学1年でバレーを始める。小·中学校時には計4回全国大会に出場。中学3年時は香川県代表の主将としてJOC出場。高校では、進学校にて春高出場を目指す。大学進学を機にバレーから離れるが高校教員となりバレー指導に没頭するように。そんな日々の中、バレー選手になるという夢を諦めきれていない自分に気がつき、教員を辞めバレー選手となるためドイツ·ベルリンへ。生活基盤が整い始めた矢先、息子が大怪我をして急遽帰国。息子の回復後は北海道へ移住しクラブを設立し、コーチングを生業とするように。その後、縁あって仙台市を拠点に活動するリガーレ仙台(当時:V2リーグ)のヘッドコーチに就任。ワンシーズン指揮を執る。2024年7月より、シンガポールの育成クラブにてコーチング活動に従事。

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