「モノ」に感情を持つのをやめよう

アイディア

私は最少限のモノしか所有しない生き方が好きである。

私自身のことを振り返ってみると20代までは物欲も所有欲は人並みにはあったし、むしろ強いほうだったとも思う。

子どもの頃はお菓子を買うときは、おもちゃ付きのものを好んだし、友達からもらったおみやげのキーホルダーやお菓子の空箱などは大事に保管してみたりと使わないけれども捨てられないモノを所有することが私にとっては当たり前であった。

また今振り返ってみても不思議に思うくらいになぜ保管していたのだろうと思うモノがある。良い成績が残せた思い入れのあるスポーツの試合で使用した使用済みテーピングを数年間、所有していたことがった。今思うとただ一言「汚い…」と言わざるを得ない。。。

しかし、20代までの私は所有したモノには「素敵な思い出」や「もったいない」「もらったものだから本当にいらないけど捨てられない」といった感情をその「モノ」の中に詰め込んで、多くの「モノ」を必要であるからではなく、捨てることができないから所有していたと思う。

しかし、30代になって単身海外へ移住するというシチュエーションが発生し、強制的にモノを減らす必要性に駆られた。これが私にとっては本当に人生の転機といっても大袈裟ではないかもしれない。このとき「ミニマリスト」という言葉にも出会い、「モノ」を所有することについて深く考える機会を得た

洗いざらいすべてといっても良いほどに自分一人が生活する上で必要ない「モノ」はほとんどすべて捨てた。断捨離という行為を経験したことがある人には分かると思うが「モノ」との別れは辛いことも多い。その「モノ」に根付くストーリーを思い出し、自分の過去の感情に想いを馳せてしまうのだ。

「あ~これは、妻と結婚する前に選んでもらった服だな~。」とか「あ〜この靴は、気合い入れて買っためちゃくちゃ高いやつだ〜。」といった具合で。そして、やっぱり捨てるべきなのかどうか迷ってしまうのである。必要はないがなかなか捨てづらい「モノ」を捨て始めたときは、なかなか思い切って捨てることができないのだ。だが少々の勇気を持って「エイヤッ!」と捨ててみると後から気づくことがある。捨てたことで激しく後悔するといったことはほぼ起こらない。むしろ、捨てたことすら忘れてしまっていることすら起こってくる。

思い出の「モノ」たち

このフレーズは聴いていて悪くない。なんだかいい響きだ。でもよくよく考えてみてほしい。思い出はその「モノ」の中に本当にあるのだろうか。もし、そうであればそれは魔法使いの世界である。その「モノ」がないと思い出せないような記憶や感情なんて、しれている。ただがしれている。そう思わないだろうか。

生まれたときに息子が初めて着た服がなくたって、息子が生まれた瞬間の感動は、絶対に消えない。

結婚式のときに来たスーツがなくたって、あの時のなんともいえない幸福感は、絶対に消えない。

大切な思い出や感情っていうのは、ずっと自分自身の心の中から消えない。心底そう思うのだ。

私は、強制的に所有する「モノ」の量を減らすという経験を通じて、「モノ」はそれ以上でもそれ以下でもないと考えるようになった。「モノ」に感情を詰め込もうとすることのをやめたのだ。

「モノ」に感情を持つのはやめよう。

そして、自分が豊かに生きるために必要な「モノ」が何かを考えよう。

Saika Yuta
written by

1987年生まれ。小学1年でバレーを始める。小·中学校時には計4回全国大会に出場。中学3年時は香川県代表の主将としてJOC出場。高校では、進学校にて春高出場を目指す。大学進学を機にバレーから離れるが高校教員となりバレー指導に没頭するように。そんな日々の中、バレー選手になるという夢を諦めきれていない自分に気がつき、教員を辞めバレー選手となるためドイツ·ベルリンへ。生活基盤が整い始めた矢先、息子が大怪我をして急遽帰国。息子の回復後は北海道へ移住しクラブを設立し、コーチングを生業とするように。その後、縁あって仙台市を拠点に活動するリガーレ仙台(当時:V2リーグ)のヘッドコーチに就任。ワンシーズン指揮を執る。2024年7月より、シンガポールの育成クラブにてコーチング活動に従事。

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