素直な気持ちで夢について語ろう

アイディア

昨日、3月31日付けで高校教員辞めました。

本日、4月1日より無職(フリーランス)となりました。

そして、4月12日に1人、ドイツ・ベルリンに向けて日本を発つことになっています。

ここまでは決定事項。

詳細については、後々ブログに書いていきたいと思います。

期限付きの夢を言葉にする

私の夢。突然ですが私は以下のことを実現します。

・2018年8月8日:家族と一緒にドイツ・ベルリンで生活を始めます。
・2018年10月1日:ブンデスリーガ3部のバレーボールチームに所属し、正リベロとしてプレーします。
・2019年4月4日:家族みんなが「ドイツ・ベルリンに来てよかったね。」と言えるような生活基盤を作ります。
・2019年10月1日:ブンデスリーガの2部のチームに所属し、正リベロとしてプレーします。
・2020年10月1日:ブンデスリーガの1部のチームに所属し、正リベロとしてプレーします。

以上が今の私が思い描いている夢です。

一度早い段階で諦めてしまった夢です。

様々な出会いの中で、復活した夢です。

自分に対して、決して嘘のない夢です。

絶対に叶えられると信じている夢です。

具体的に夢を言語化して分かったこと。ここまで、具体的に自分の夢に期限をつけて言語化したのは、人生初だと思います。
小さいころから夢をもちなさいと言われ、教員となっても生徒に夢をもちなさいと言っておきながら、自分の夢を言葉にしてこなかったのです。漠然と「○○○が夢」と言ったことはありますが、きちんと人に語れることはなかったです。

ここで、「なぜ?」と考えてみると理由は案外明白でした。

他者の目を気にして動けない

今回、こうして自分の夢を期限付きで公表しようと考えたときに気が付いたのです。

「夢が実現しなかったときを想像して、それが怖かった。」

「期限をつけて、実現できなかったら他者にどう思われるのだろうか。」

「できなかったら自分が惨めな気持ちになるんじゃないだろうか。」

「いい歳して夢見て…。子どももいるのに。なんて無責任な親だ。」

「夢が変わって別のことを目指すことになってしまったらどうしようか。」

これらは正直な気持ちです。でも、これらの気持ちが湧いてくる原因は他者の目を気にしているからだったんです。他者にどう思われるのかを意識しすぎて、本当に自分が何したいのか言えなかったのだと思いました。
社会の常識や他人の意見ばかりに囚われていると、自分が本当にしたいこと、自分がどう生きたいが分からなくなる。

自分の人生を生きたいと思って、自分の今の気持ちを大事にして夢を語ってみました。

誰でもチャレンジできる世の中

これまで、教育関係の仕事をしているときに、いつもこんな気持ちを持って活動してきました。

すべての子どもに機会を。すべての子どもに夢を。

今でもそう思っています。すべての子どもたちには学んだり、挑戦したりする「機会」も、心から語れる「夢」も持っていてほしい。この想いは一切変わりません。だからこそこれまでずっと子どもたちと関わる教育畑で働いてきたのだと思っています。

そして、これまで子どもたちと関わる中で、新たな想いが生まれてきました。それは…

すべての人に機会を。すべての人に夢を。

1文字変えただけなんですが「子どもだけでなく大人も夢を抱いてチャレンジできる世の中になってほしい。」という意味です。

大人がいろんなことを我慢しながらへとへとになって疲れた顔して生きてたら子どもたち嫌じゃないですか。辛いことに耐えながら理不尽な社会の中、終電ギリギリまで働くことが美徳といった価値観がまだまだ拭えないのが今の日本社会なのかなと感じてます。これでは子どもたちはワクワクしながら大人になる自分を描けません。

「大人になったら夢追いかけている場合じゃないな。正社員にならなくちゃ。公務員なら一生安心だ。」

このように考えるのも無理ないでしょう。子どもは大人を無意識にマネます。大人がいやな顔して疲れた顔していやいや仕事してたりしてたら、子どもたちも大人はそうゆうものだと思って、そんな大人になります。

でも、そこで教員をしてたボクが、日本から突然いなくなっって、

「12年くらいブランクあるけど、30歳だけど、ドイツに行ってプロバレーボールプレーヤー目指します!ドイツ語まったくしゃべれないけど。収入のあてもないけどフリーでやっていきます。とりあえずやってみるわ!いってきま〜す。」

ってなったらどうでしょう。

もしかしたら、ボクを知っている子どもたちは、

「うわ~、あいつマジクレージーやな。無茶するな〜。そんな生き方ありなんかな?俺も(私も)まだ若いし色々やりたいことやってみようかな。」

みたいになるかもしれません。

大人がリスクとってチャレンジする姿を子どもたちに見せるのは大事だと思います。


リスクをできるだけ取り除いて、少しでも良い環境を!の精神では子どもが伸びていきません。必要なのは大人が

「必死に、楽しそうに、チャレンジすること。」

失敗しても。成功しなくてもいいから。チャレンジするのはタダです。チャレンジ宣言するのもタダです。はい。無料です。

失敗したら…みたいな変なプライド、ごみ箱にポイっと捨てちゃいましょう。
ボクは、変なプライドをゴミ箱に鼻かみティッシュと一緒に捨てて自分に正直に生きていきます。

あと何日生きられるのか

日本人男性の平均寿命は約81歳。ぼくはもう少しで31歳になるからあと50年。
50年って長いように感じるかもしれないけど、日数で言うと18,250日。時間で言うと438,000時間。
人によってどう感じるかは分からないけれど、ボクはこうして日数とか時間にすると短く感じて焦ります。


刻々と時間は過ぎていきます。さらに、睡眠時間を8時間と考えると、上記の時間から3分の1は削られます。さらに、さらに、自分が自由に動き回れるのは65歳くらいですか?歳をとると体力も気力も落ちます。さらに、さらに、さらに、あくまで81歳まで生きた場合ですからもっとはやく死ぬかもしれません。明日死ぬ可能性もあります。

というわけで三十路の私に時間は残されていない。歳だから何かをあきらめちゃっている場合ではないし、やりたくないことばかりしている場合でもないんです。

気分は浪人

今日という日は私にとって大きな節目となる始まりの日です。
気分は「浪人」。世間的に見ると「ニート」。

所属もなく、何の保障もない状態で行ったことのない国にいって挑戦してきます。不安や恐怖がないと言うと嘘になりますが、正直ワクワクの方が不安や恐怖を上回っています。坂本竜馬が脱藩したときの覚悟にも負けない覚悟を持ってチャレンジします。

この文章を読んだ読者の方が、「私もやってみようっ!」の気持ちになるとうれしいです。

Saika Yuta
written by

1987年生まれ。小学1年でバレーを始める。小·中学校時には計4回全国大会に出場。中学3年時は香川県代表の主将としてJOC出場。高校では、進学校にて春高出場を目指す。大学進学を機にバレーから離れるが高校教員となりバレー指導に没頭するように。そんな日々の中、バレー選手になるという夢を諦めきれていない自分に気がつき、教員を辞めバレー選手となるためドイツ·ベルリンへ。生活基盤が整い始めた矢先、息子が大怪我をして急遽帰国。息子の回復後は北海道へ移住しクラブを設立し、コーチングを生業とするように。その後、縁あって仙台市を拠点に活動するリガーレ仙台(当時:V2リーグ)のヘッドコーチに就任。ワンシーズン指揮を執る。2024年7月より、シンガポールの育成クラブにてコーチング活動に従事。

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