バレーボールとは何か
ここからは、スポーツから一気にズームインしてバレーボールとは何かということについて様々な視点から考察していきたい。まず、バレーボールというスポーツが生まれた経緯や背景について詳しく見ていこう。
そして、バレーボール誕生後の歴史的な変遷についても触れていくことでバレーボールが時の経過とともにどのように発展してきたのかもしっかりと感じてもらいたいと思う。そして、この発展のプロセスに対する理解が進むことで、バレーボールにおける普遍性や本質というものが何かという部分を考えることができるようになってくると思っている。
バレーボールをプレーする人、コーチングする人、見る人…
バレーボールに関わるあらゆる人々に、バレーボールとは何かという普段はあまり考える機会がないだろう壮大で哲学的な問いをここでは敢えて立てる。そして、本連載コラムを読み終わる頃にはバレーボールへの理解と愛が今よりも少しでも深いものになっていれば私にとってこれ以上の喜びはない。
バレーボール誕生前夜
バレーボールの歴史を知るには、バレーボールの誕生までの経緯を知ることから始めなければならないだろう。いつ、どこで、どんな社会的な背景があったのか。また誰によって開発されたのかといった具合に。
バレーボール誕生までの経緯については様々なところで解説されている。ここでは様々な文献の力を借りつつも、私自身が感じたことや考えたことなども交えながらできる限り詳細に解説をしていきたいと思う。
バレーボールの誕生もまた人の誕生と同じように奇跡的・偶発的な様々な因子の掛け合わせによって実現したもので、そこには語られるに値する物語が存在している。すべての物事がそうであるように、バレーボールの存在も一つのボタンのかけ違いがもしもあったならば「なかった」かもしれないのだ。
ここから始まるバレーボール誕生物語を心ゆくまで楽しんでほしい。
では、早速バレーボール誕生前の時代にタイムスリップしてみよう。どこまで遡るのかという問題もあるのだが、ここではバレーボールの親にあたるスポーツの誕生まで遡っていきたいと思う。
すべてのスポーツがそうであるように、バレーボールも突然に誕生したわけではない。バレーボールの親とも言うべきスポーツがあるのだ。
それはバスケットボールである。
「えっ?」という驚きの声が聞こえてきそうではあるが、その気持ちには強く共感する。バスケットボールとバレーボールを頭に浮かべたときに両スポーツに共通する部分を直感的にはあまり多く見出すことができないと感じてしまうからだろう。実際、私もそうであった。
さて、ここからはバレーボールとバスケットボールの共通点を探るべくバレーボールの親であるバスケットボール誕生の経緯まで遡る。親をよく知ることは子をよく知ることにつながる。これは間違いない。
バスケットボール誕生
バスケットボールは1891年、カナダ人青年であるジェームス・ネイスミスによって発明された。いや、産まれたというべきか。
「バスケットボールはカナダ発祥のスポーツなのか?」
と疑問に思った方も多いかもしれない。そう思った方は正しい。
バスケットボールは多くの読者が期待する通り、アメリカ発祥のスポーツである。彼の指導教授であったYMCA(Young Men’s Christian Association:キリスト教の信仰に基づき社会活動を推進する組織)のルーサー・H・ギューリック博士の教えと自身の子ども時代の遊び経験を融合させて、バスケットボールという当時でいうところのニュースポーツを発明したのである。
さて、ここではバスケットボールの誕生に大きな影響を与えたルーサー・H・ギューリック博士の教えがどういったものであったのかを知ることは重要である。彼の教えはネイスミスの著書にこう記されている。次に引用しよう。新しいスポーツを考える上でのギューリック博士の哲学は次の通りである。
“There is nothing new under the sun. All so called new things are simply recombinations of the foctors of things that are now in existence.” (太陽の下で行われるスポーツは何も新しくない。新しいスポーツと呼べるものは今すでに存在しているものの要素を単純に結合させたものになるだろう。)
ここでの一文を一単語に置き換えるのならば、これはまさにリ・クリエーション(”re-creation”)、つまり再創造である。青年ネイスミスの再創造によってバスケットボールは誕生したのである。