スパイクスイング3分類#3

アタック

本記事ではそれぞれのスパイクスイング動作について比較表を見ながら考察を深めていきたいと思う。まずは下記の表をざっと眺めてほしい。いくつかの観点から各スイングを相対的に比較検討していこう。

テイクバック完成のタイミング/テイクバックの大きさ

力強いスパイクが打てるかどうかはテイクバックにかかっているといっても過言ではない。テイクバックとは腕がしっかりと振れる(実際は体幹の動きに腕が振られている状態が理想)状態を完成させるために利き腕を後方に引く準備動作である。その完成速度については、サーキュラーとストレートに軍配があがる。

サーキュラー(タイミング:早い/大きさ:大きい)

サーキュラーにおけるジャンプ時の前腕振り上げ動作は肩下までは両腕ともに上方に向かって振り上げられ、肩上へ差し掛かる位置から利き手と非利き手が分岐するという特徴を持つ。非利き手はそのまま振り上げられるが、利き手は早々にテイクバック動作へ移行していくのだ。そのため、テイクバックの完成は早くなる。また、体幹の回旋運動を主に使うスイングであるため、テイクバック動作もそれに伴って自然と大きくなる

ボウ・アンド・アロー(タイミング:遅い/大きさ:大きい)

ボウ・アンド・アローにおけるジャンプ時の前腕振り上げ動作は両腕ともに肩上まで揃って高い位置へ向かっていく。そして、上がり切ったとこからようやく非利き手と利き手は分岐する。そして、名前の由来の通り弓矢を引くようにして利き手はテイクバック動作を開始する。このように、テイクバック動作の始動が遅くなってしまうため、テイクバックの完成は遅くなってしまう。また、体幹の回旋運動を使うスイングであるため、テイクバック動作もそれに伴って自然と大きくなる。ただ、セットされたボールに対してアプローチ(助走)が遅れてしまうといったようなケースだと、テイクバック動作を完了させることができずにテイクバックが小さくなってしまうといったことも起こり得る

ストレート(タイミング:早い/大きさ:小さい)

ボウ・アンド・アロー同様、ジャンプ時の前腕振り上げ動作は両腕ともに肩上まで揃って高い位置へ向かっていくため、この時点ではサーキュラーと比較してテイクバック動作の完成に遅れが生じる。しかし、体幹の回旋運動がほとんど起こらずテイクバック自体が小さくなるため、最終的にはテイクバック動作の完了するタイミングは早くなる

ボールインパクト

力強いスパイクが打てる、つまり強いインパクトをボールに与えることができれば自然と得点能力は高まる。そのため、ボールインパクトという観点はスパイクスイングについて考察を深めていく上で非常に重要となる。

スパイクスイングという観点から考えてみると、ボールインパクトの大小はテイクバックの大小に比例するといってもよいだろう。よって、以下のようになる。

サーキュラー(インパクト:大きい)

ボウ・アンド・アロー(インパクト:大きい)

ストレート(インパクト:小さい)

主な体幹動作

スイングによって主に使われる体幹動作にも特徴がある。それぞれについて細かく見ていきたい。

サーキュラー(体幹動作:回旋・側屈)

サーキュラーの主たる体幹動作は回旋・側屈である。これら2つの動きはそれぞれ別個に起こっている運動というよりは互いに連鎖的・連続的に起こっている運動であると言える。また少し乱暴な言い方になってしまうかもしれないが、回旋運動はスイングを加速させ、側屈運動はヒットポジションを高くすると言える。

ボウ・アンド・アロー(体幹動作:回旋・前屈・後屈)

ボウ・アンド・アローの主たる体幹動作は回旋・前屈・後屈である。サーキュラー同様に回旋運動が起こるが、側屈運動は起こりづらいなぜなら、ボウ・アンド・アローの特徴である弓矢をひくようなテイクバック動作による影響を受けるためだこの動作だと利き腕の肘を比較的高い位置(肩より上方)に引くことになり、その結果として側屈運動が起こりづらくなるのだ。また、利き腕の肘を高い位置(肩より上方)に引けば引くほどに回旋運動は阻害され、パワーが生み出しづらい状況となるこうした状況になるとパワーを付加しようとして後屈から前屈への体幹動作が優位になりやすい

ストレート(体幹動作:前屈・後屈)

ストレートの主たる体幹動作は前屈・後屈である。上記2つのスイングのように回旋運動はほぼ起こらない。また、側屈運動も起こらない。そのためスイングを加速させるために使える体幹動作は後屈から前屈への動作に限られる

引き続き、それぞれのスパイクスイングの特徴について解説していきたい。

Saika Yuta
written by

1987年生まれ。小学1年でバレーを始める。小·中学校時には計4回全国大会に出場。中学3年時は香川県代表の主将としてJOC出場。高校では、進学校にて春高出場を目指す。大学進学を機にバレーから離れるが高校教員となりバレー指導に没頭するように。そんな日々の中、バレー選手になるという夢を諦めきれていない自分に気がつき、教員を辞めバレー選手となるためドイツ·ベルリンへ。生活基盤が整い始めた矢先、息子が大怪我をして急遽帰国。息子の回復後は北海道へ移住しクラブを設立し、コーチングを生業とするように。その後、縁あって仙台市を拠点に活動するリガーレ仙台(当時:V2リーグ)のヘッドコーチに就任。ワンシーズン指揮を執る。2024年7月より、シンガポールの育成クラブにてコーチング活動に従事。

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