バレーボールとは何か(「ミントネット」「バレー・ボール」そして「バレーボール」へ〜)#8

バレー

バレーボールが全米で陽の目を見るおおきなきっかけとなった出来事が1896年に開催されたカンファレンス、全米YMCA体育部担当主事総会である。

「ミントネット」から

この総会でモルガンはミントネット(Mintonette)という名称で現在のバレーボールを初めて紹介したのである。そして、その後1896年7月には国際YMCAトレーニングセンターで開催された全米YMCA総会にモルガンは招待され、ニュースポーツ、ミントネットのデモンストレーションをする好機に恵まれる。

1チーム5名からなる2つのチームによってデモンストレーションは行われた。この際、モルガンはミントネットについて次のように説明している。

「まず、体育館や運動ホールなどの室内でプレーするようにデザインしている。ただその一方で屋外でもプレーすることができるプレーヤーの人数は制限されず、コートのサイズに応じて何人でもプレーすることができるラケットなどの道具は使わず身体の一部を打具として使うため、誰でも容易にプレーすることができる。ボールを自コートに落とさずネットを超えて相手コートに打ち返すことがゲームの目的となっている。」

ちなみに、アメリカバレーボール協会初代会長であるジョージ・フィッシャーは次のように述べている。

「バレーボールと呼ばれるゲームの起源はこのデモンストレーションにある。」

フィッシャー氏の述懐をもとに考えれば、現在(2024年)から遡るとバレーボールの歴史は約130年弱。この歴史が長いと見るかそれとも短いと見るかはその人の考え方によるだろう。私の主観では、バレーボールはまだまだよちよち歩きの赤ちゃん。発展途上のスポーツであると認識している。バレーボールはこれからまだまだ進化していくに違いないと思ってるからである。

「バレー・ボール」に

さて、ニュースポーツとして陽の目を見たばかりのミントネットであるが、どの段階で「バレーボール」と呼ばれるようになったのかと疑問を持つ人もいると思うのでここで明かしておきたい。

実は驚くほど早々に1回目の名義変更をしているのである。1896年のデモンストレーションを見ていたアルフレッド・ハルステッド教授から早々にモルガン氏に提案があった。

その提案とは次の通りであった。

ボールを相手コートに打ち返す(Volley)というゲームの目的と飛来するボールの有り様から「打ち返す(ヴォレー)」と「球(ボール)」を組み合わせた“ Volley Ball” という名称が万人にとってわかりやすいのではないか。

この提案をモルガンは快くか否かは不明であるが受け入れたのである。「バレー・ボール(”Volley Ball”)」の誕生である。

「バレーボール」へ

しかし、現代のように「バレーボール(”volleyball “)」 と一単語として表記されるまでにはさらに約50年の年月を要するのであった。1952年にUSABA(全米バレーボール協会)によって正式に” volleyball “という表記されることが認定されたのだ。一見、表記上のマイナーチェンジと思われるかもしれないが、一つの単語として「バレーボール」が認められたことは正式なスポーツとしての地位を確立したと捉えることもできるのかもしれない。

ルールの歴史的変遷を知る

さて、こうしてモルガンによって生み出されたバレーボールであるが、その誕生後もこのスポーツは様々な試行錯誤を重ねて進化し続けてきた。そして、現代においても試行錯誤は続いており、日々進化し続けているのだ

誕生地であるアメリカに留まらず、国を超えて世界中へと爆発的に広まっていくバレーボールではあるが、まずは公式ルールの変遷について先に眺めていくところから始めたいと思う。ルールの歴史的な変遷を知ると、おそらくバレーボールの本質とは一体何なのかということを自然と考えるようになるし、多くのバレーボールを愛する人々によってバレーボールは文字通りの進化と深化を遂げてきたのだと分かるだろう。

次の記事ではルールの歴史的変遷について年代順に見ていこうと思う。

(続く)

Saika Yuta
written by

1987年生まれ。小学1年でバレーを始める。小·中学校時には計4回全国大会に出場。中学3年時は香川県代表の主将としてJOC出場。高校では、進学校にて春高出場を目指す。大学進学を機にバレーから離れるが高校教員となりバレー指導に没頭するように。そんな日々の中、バレー選手になるという夢を諦めきれていない自分に気がつき、教員を辞めバレー選手となるためドイツ·ベルリンへ。生活基盤が整い始めた矢先、息子が大怪我をして急遽帰国。息子の回復後は北海道へ移住しクラブを設立し、コーチングを生業とするように。その後、縁あって仙台市を拠点に活動するリガーレ仙台(当時:V2リーグ)のヘッドコーチに就任。ワンシーズン指揮を執る。2024年7月より、シンガポールの育成クラブにてコーチング活動に従事。

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