バレーボールとは何か(古代オリンピックから近代オリンピックへ〜)#4

バレー

古代オリンピックから近代オリンピックへ

なぜ宗教的儀式としての古代オリンピックが世界平和を目的とした近代オリンピックへ進化していったのか。

この点について考察を深めていきたい。この進化のプロセスを知ることは、スポーツの本質をさらに深く理解することに大きく寄与することは間違いないだろう。

敢えて「進化」という言葉を使ってみたのだがそこには意図がある。「変化」や「変遷」という言葉からは緩やかに移り変わっていくといった印象を受けると考えたからだ。しかし、歴史を振り返ってみると古代オリンピックの終焉(第293回大会:紀元393年)から近代オリンピックの誕生(第1回大会:紀元1892年)までには約1500年という気が遠くなるような歴史的断絶とも言える空白期間があったのだ。

そして、その気の遠くなるような空白期間を経て、ある人物の燃えたぎる熱意と圧倒的な行動力によって近代オリンピックは誕生したのである。

近代オリンピック誕生の物語に登場する「ある人物」についてまずは知ってもらいと思う。

現代オリンピックの礎となる近代オリンピックの開催を提唱した人物である。彼の名はピエール・ド・クーベルタン。フランス人男性である。彼なしに近代オリンピックについて語ることは決してできない

近代オリンピックの父と呼ばれる彼であるが、貴族家系の三男としてフランス・パリに生まれた。貴族という非常に恵まれた身分に生まれた彼であった。しかし、当時は普仏戦争(1870〜71)の敗戦によって停滞感が国全体を取り巻いていた。そんな中でその停滞感を敏感に感じ取りつつも、その状況を打開したいと悶々としていたのもまた彼であったのだ。

そして、彼は次第にその現状を打破するには教育改革が必要であると考えるようになる。そこで彼は海外の教育視察のために渡英を決意。そこで見たものが彼に衝撃を与えたのだ。彼の人生、そしてスポーツの歴史を変える衝撃がそこにはあったといっても決して大袈裟ではないだろう。

そこには、イギリスの学生たちが積極的かつ紳士的にスポーツに取り組む姿があったのだ。

「自国フランスの知識偏重教育ではこうした青少年は育ってこない。」

こうした確信からスポーツを取り入れた教育改革がフランスには必須だと彼は確信するに至るのである。そして、その後も彼は諸外国への視察を続け、アメリカに至るそこではヨーロッパに見られるような階級や伝統・慣習に捉われないアメリカ社会の自由な在り方に感銘を受け、次第にそこで経験した社会を古代オリンピックがかつて大昔に繁栄した古代ギリシャ社会に重ね合わせて見るようになったのである。

彼の強い愛国心と圧倒的行動力、そして複数の国での様々な経験があってこそ、近代オリンピックの誕生、敢えて言い換えるなら古代オリンピックの復活という奇跡が起こったのだ。一人の熱い想いをもった青年の情熱が古代オリンピックの終焉から約1500年もの年月を経て近代オリンピックの誕生をもたらすのである。なんと壮大な物語だろうか。

さて、ここまで宗教的儀式としての古代オリンピックから世界平和を目的とした近代オリンピックへの進化をほんの一部始終ではあるが眺めてきた。

ここで、スポーツの本質を考える上で最も注目すべきポイントはピエール・ド・クーベルタンがスポーツを教育の手段として捉えていたという点だと私は考えている。今でこそスポーツ教育という言葉が一般的に使われているが、100年以上前に、スポーツを教育の手段として捉え、それによって国をより良くしたい、さらにそこから発展して、世界をより良くしていきたい(世界平和)という考えに至ったということに対して尊敬と感謝の念を抱かずにはいられない。

スポーツの本質に触れるにあたってオリンピックの歴史を知ることは大変重要であるとの認識から、オリンピックの「進化」について触れたみた。

ただ、最後に一点誤解なきようここで付け加えておきたいのは、古代オリンピックの終焉から近代オリンピックの誕生までの約1500年の間もスポーツは人類にとって欠かせない隣人として人類とともに在り続けていたということである。この点だけは忘れないでいてほしいと思うのだ。

スポーツの本質

さて、ここまでスポーツの語源・起源・誕生のきっかけ、古代オリンピックから近代オリンピックへの進化といった様々な視点からスポーツの本質を探ろうと旅をしてきた。「旅」というと大袈裟でスポーツのこれまでの歴史に対して敬意を払うのであれば「遠足」程度のものかもしれない。

現時点において十分にスポーツのことは理解したと思ってはない。むしろ、私自身調べたり、考えたりする中でもっとスポーツとは何かを理解したいという強い欲求が生まれてきたというのが本音のところである。今後も一生スポーツとは何かと考え続けることになるだろう。

ただ、未熟ながらにもこうして様々な視点からスポーツとは何かということを考察してきて思うのは、先史時代から「普遍」と呼べるものもあれば、時代を経て少しずつ、場合によっては劇的に「変容」してきたものもあるということだ。

「普遍」という視点から見てみると、どの時代においてもスポーツは日常から離れて楽しむためのものであった(今もそうである)と言えるのではないだろうか。また、時と場合によって大きく「変容」してきたと考えられるものが、スポーツを行うことの大義(目的とも言える)である。それは、自らの力を誇示するためであったり、宗教的な儀式としてのものであったり、教育のためであったり。はたまた、世界平和を目指すためのものであったり、健康を維持するためのものであったり…。本当に様々である。

このように考えてみると、スポーツを行うことの大義というのは「諸行無常」であることを実感する。こうした様々な大義を包括してしまうのがスポーツという大きな存在であり、そのこと自体がスポーツの大きな魅力でありスポーツと人類を切っても切れない関係にしている大きな要因なのではないかと思うのだ。

最終結論というふうに締めくくるつもりはないが、ここでスポーツの本質とは何かを暫定的に纏めてみたい。

スポーツの本質とは「日常から離れて楽しむ」という普遍性と「時と場合に合った大義を柔軟に内包できる」という柔軟性を併せ持った活動である。

Saika Yuta
written by

1987年生まれ。小学1年でバレーを始める。小·中学校時には計4回全国大会に出場。中学3年時は香川県代表の主将としてJOC出場。高校では、進学校にて春高出場を目指す。大学進学を機にバレーから離れるが高校教員となりバレー指導に没頭するように。そんな日々の中、バレー選手になるという夢を諦めきれていない自分に気がつき、教員を辞めバレー選手となるためドイツ·ベルリンへ。生活基盤が整い始めた矢先、息子が大怪我をして急遽帰国。息子の回復後は北海道へ移住しクラブを設立し、コーチングを生業とするように。その後、縁あって仙台市を拠点に活動するリガーレ仙台(当時:V2リーグ)のヘッドコーチに就任。ワンシーズン指揮を執る。2024年7月より、シンガポールの育成クラブにてコーチング活動に従事。

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