アイデンティティー

アイディア/IDEA

31歳を目前に

「自分って何なんだろう?」

という日々が続いています。昨日は一日完全に引きこもっていました。

あっ!決してこれはただのネガティブ日記ではないことを先に言っておきます。

自分は一体、何者なのか?という問い

皆さんも若い頃、「自分は一体、何者なのか?」と悩む。そんな経験をしたのでないでしょうか。

あのモヤモヤとした言葉にはできない感じ。

そう今、私は思春期の頃に感じたあのモヤモヤ感を持っています。

このモヤモヤ感。ちょいと難しい心理学の言葉で言うと、多分こうです。

自我同一性(アイディンティティー)

この言葉自体はおそらく耳にしたことがあると思うのですが、

「じゃそれって日本語で説明するとどういう意味なの?」と聞かれるとちょっと困ってしまいますよね。

私も多分に漏れず、この意味をきちんと説明できないのでコトバンク先生に質問してみました。

コトバンクの解説によると…

以下、抜粋。

アメリカの精神分析学者エリクソンの用語。心理社会的発達によって青年期に獲得されるもので、アイデンティティともいう。人間は、母親、父親、兄弟、友人、教師などとの対人関係のなかで社会化されながら自我を発達させていく。自分にとって意味のある重要な他者との関係で「息子としての自分」「男性としての自分」「学生としての自分」などさまざまな社会的自己・役割を形成していくのである。こうした社会的自己・役割を見直し、取捨選択して統合した人格的同一性を形成することが青年期の発達課題である。どんな人種的集団、あるいは社会的階層の一員であるか、どんな職業生活を選択し、どんな人間になろうとしているかについて、自分を反省し、これが矛盾なく全体として統一のとれた体制をつくっていれば、自分がだれであるかを明らかにすることができ、自我同一性ができあがるといわれる。青年期は自我同一性の確立をめぐってさまざまな試行錯誤が行われるが、これは社会的役割実験といわれる。こうした役割実験はかならずしも成功するとは限らず、失敗に終わると同一性の拡散とよばれる混乱状態がおこる。この意味で青年期は同一性の危機の時代であるといわれるが、しかし自我同一性は青年期に限ったものではなく、誕生から死に至るまでにわたる人間の課題であり、容易に解決できるものでもない。

自分でもこの解説を読んで笑ってしまいました。

完全に今の私は、自我同一性の危機じゃないか!!

雑賀視点で自我同一性の解説にツッコミを入れる

私にとってツッコミどころ満載の解説だったので、一つずつ突っ込んでいきたいと思います。

1.青年期に獲得される…
青年期どころかもうオッサンです私。私も青年期に自分とは何かという課題に思い悩んだ記憶があります。自分と他者との違いに嫉妬したり、優越感を得てみたり。そんなことを繰り返していく中で、自分って「自分なんやな!」って思えるようになってきたのですが。。。ここにきて。。。

2.どんな人種的集団…
これまで日本にいて日本人に囲まれて生活してきました。
海外生活の経験と言えば留学くらい。といってもたった三ヶ月半。そのとき周りには常に日本人がいました。でも、今は違います。日本人どころからアジア人も非常に少ない。聞こえてくる言葉はドイツ語か英語。たまに???な言葉。日本語は街の中から一切聞こえてきません。それにとにかく、みんな背が高い。日本で普通に生活していると見上げてしまうような人はあまりいません。がしかし、こちらにくると大半の大人が私よりはるかに大きいし、そもそも体格が全く違う。日本でもひょろっとしている方ですが、こちらにくるともはや、もやし。顔の構成も違いますね。分かっていたつもりだけど…あまりに違いすぎます。所属する社会で圧倒的少数派になると、自分が揺れます。ユラユラ。

3. どんな職業生活を選択し…
言うまでもないでしょう。これまでは一応、社会的に明確に認知されている職業に就いて生活してきました。でも、今はフリーランスということですから。「フリー」です。自分で仕事をつくって、それで生活していく。これまで経験がないので正直きついです。フリーで食べていけるといった保証はどこにもありません。これから考えていくしかないですね。「自由には大いなる責任が伴う」こんな言葉を思い出しました。

4.自我同一性は青年期に限ったものではなく、誕生から死に至るまでにわたる人間の課題…
まさに今、私の課題ってことですね。思春期の頃は周りも同じように自我同一性の危機に直面していたと思うのですが、おそらく今はその時と状況が違いますね。
一気にまわりの環境が変わるとこの課題にぶち当たるんだろうと思います。

雑賀が陥っている自我同一性の危機とは

せっかくなので、今私が感じている自我同一性の危機を一つ一つ分解してみましょう(順不同)

1.日本人としての自分
これほど、アジア人であることと同時に日本人であることを意識したことはなかった。日本人って外国人からはどのように見られているのだろう。日本人の強み・弱みってなんだろう。

2.親としての自分
これはかなり大きい部分を占めています。息子を日本において、海外にきているわけです。相当の覚悟をしてきたつもりでいますが、やはり心は揺れます。親として息子に対して日々をどう行動していくべきなのだろうか。一刻も早く一緒に生活できるようにどうするべきか考えてばかりいます。

3.夫としての自分
ほぼ同上。妻とは相当話し合いを重ねて、ベルリンに来ましたがそれでもやはり「これで本当によかったのだろうか?」と思う瞬間はあります。ただ、この2人で出した選択を正解にするために行動するだけですが。

4.社会人としての自分
職業生活をどう営んでいくのかという点にも近いと思うのですが、これからフリーとして生活をしていく上で、所属する社会にどうやって関わっていけばいいのか。どんな貢献ができるのか。という問いがあります。日本で教員をしているときは、このことについて特に考える必要はありませんでした。これらの問いに対する答えは明確でしたので。

5.一人の人間としての自分
ベルリンにきてから、昼からビールを飲んでいる人や公園で昼間から昼寝を決め込んでいる人たちをたくさん見ます。ただ、これまでそうゆう人たちは怠惰だと思っていました。しかし、そんな方々をたくさん見ていると「果たして本当にそうなのか?」と自分の価値観が揺らいでいるというのが正直なところです。だからと言って昼からビールを飲みたいとか昼寝したいとかといった話ではないのですが、とにかく自分の価値観はこれまでの経験の積み重ねでしたかないのだということを痛感しています。だからこそ、もっと違った経験をして自分の価値観をぶっ壊して、固定概念に縛られない一人の人間としての自分を確立していきたいと思います。

自我同一性の危機すら楽しもう

こんな感じで、自我同一性の危機にある私ですが、この状況を楽しんでいきたいと思っています。
まさかオッサンになって思春期の時みたいな気持ちを味わうなんて思っていませんでした。

でも、未知なる世界に足を踏み入れたことで、あの時の感覚をもう一度味わえるんです。

楽しみでしょうがないですね!!

後、こうして自分のモヤモヤを言語化できたので、不安がぶっ飛びました。不安は自分には分からないものからやってくるわけですから。今回、私の元にやってきた「自我同一性の危機」君は、本記事にて言語化されたことで、漠然とした不安から明確な課題となりました。

あとは課題解決のために行動するのみです。

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