熱く冷静に

アイディア

本日13時のフライトで日本を発ちます。

これまで日本を離れて生活する経験は大学時代の三ヶ月半の留学だけ。しかし、手厚いサポートと日本人留学生に囲まれての生活とは違い、今回は一人。

家も決まっていない。現地語も話せない。活動先も決まっていない。もはや浪人。

ここから自分で生活基盤をつくり、言葉を覚え、自分のしたいことをできる状態を作り出せるか。あらゆる不確実性の海に飛び込んでいくことになります。ここから自分がどうなるかわからない。今まさにそんな状態にあるわけですが、

自分は何者なのか。いやむしろ何物になれるのだろうか。そんな気持ちでいます。

そんなときにある言葉が頭に浮かんできました。

熱く冷静に

私のこの言葉に対する解釈は、燃えたぎるような情熱を持ちつつ、感情を一切排除した状態で最適な解を出そうとする姿勢で、物事に取り組んでいくこと。この言葉との最初の出会いは高校時代。バレーの試合会場に吊るされた、真っ青な大きな垂れ幕に大きく書かれていた。

さて、この垂れ幕を作った人こそ、春高バレーで何度も優勝している東九州龍谷高等学校の名将、相原昇監督である。彼は、「熱く冷静に」を体現している人物だと思う。彼の試合中のパフォーマンスとインタビューなどを合わせて見聞きすればすぐにそれはわかるだろう。

熱く冷静に

この言葉は、バレーボールに限って適用されるようなものではない。チャレンジを続ける人にとっては、一つの哲学だといっても過言ではない。

出発の今日、この言葉が一番に頭の中に浮かんできた。

潜在意識から出てくる言葉には自然と強い信頼を覚えてしまう。

この言葉を携えて、新たな一歩を踏みだそう。

Saika Yuta
written by

1987年生まれ。小学1年でバレーを始める。小·中学校時には計4回全国大会に出場。中学3年時は香川県代表の主将としてJOC出場。高校では、進学校にて春高出場を目指す。大学進学を機にバレーから離れるが高校教員となりバレー指導に没頭するように。そんな日々の中、バレー選手になるという夢を諦めきれていない自分に気がつき、教員を辞めバレー選手となるためドイツ·ベルリンへ。生活基盤が整い始めた矢先、息子が大怪我をして急遽帰国。息子の回復後は北海道へ移住しクラブを設立し、コーチングを生業とするように。その後、縁あって仙台市を拠点に活動するリガーレ仙台(当時:V2リーグ)のヘッドコーチに就任。ワンシーズン指揮を執る。2024年7月より、シンガポールの育成クラブにてコーチング活動に従事。

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