バレーボールとは何か(スポーツの語源〜)#2

バレー

スポーツの語源

前記事で触れた定義の中で、スポーツの語源に触れている箇所があったのを覚えているだろうか。

どの言葉にもやはり語源というものが存在しており、その語源を紐解くことはその言葉が意味しているものの本質に迫る上でとても重要な役割を果たす。ここでは、スポーツの語源について深堀りしていきたいと思う。

スポーツの語源はラテン語のデポルターレ(de-portare)にある。

さらに、もう少し言うとこのラテン語は2つに分解できる。”de”と”portare”である。そしてこれらを英語に訳し直すとすれば 「de = away(離れる)」「portare = carry(運ぶ)」となり、さらに日本語に訳すならば「離れたところに運ぶ」となる。これは人間が生きる上で必要不可欠なこと(衣食住)から一時的に離れること、つまり「気晴らしをする・休養する・楽しむ・遊ぶ」などを意味するのだ。

このように語源を知り、しっかり腹落ちさせておくことはスポーツという概念を理解する上で極めて重要だ。誤解を恐れずに言うなら、この語源を知っておくということはスポーツの本質を半分程度は抑えることに繋がるといっても過言ではないかもしれない。

日常から離れて気晴らしをして楽しみ、遊ぶ。これがスポーツの本質なのだ。

語源に対する理解が深まったところだと思うが、ここで好奇心旺盛な読者であればおそらく次なる疑問が頭に浮かんできているのではないだろうか。この語源にはどのような歴史的な背景があるのだろうかという新たな問いである。

学問的アプローチから「スポーツ」を考察する

スポーツの語源にある背景を知るにはやはり、スポーツの歴史を学ぶというプロセスが必須となる。そこで、ここでは2つの学問的なアプローチをとってみたい。

一つ目がスポーツ史学で、二つ目がスポーツ人類学である。

まずスポーツ史について見ていこう。

スポーツ史とはスポーツの歴史。スポーツ、そしてスポーツに関わる一切について歴史的な視点から研究する学問分野のことを指す。スポーツの歴史的変遷を学んでいく過程でスポーツの「今」が浮き彫りになっていくのである。そしてスポーツが人間にとって一体どういった存在なのかという極めて本質的な問いに対して答える上でのヒントやすきっかけを与えてくれるのだ。

そこからさらに、スポーツと人間の関係性を紐解いていく中で人間とは一体何なのかというもはや哲学的とも言わざるを得ないような問いに答えようとするのがスポーツ史を学ぶことの最終的目的であると私は思っている。

では、次にスポーツ人類学について見ていこう。

スポーツ人類学とは、スポーツ科学の一専門分野であり、スポーツを文化として捉えるという立場にある。しかし、「文化」という言葉を解釈するにしてもその意味の捉え方は極めて多様であり、狭義・広義を含めて人によって解釈の仕方にかなりの差異が出てくる。

スポーツ人類学における文化の解釈は「一定の人間集団の生活様式の全体」である。ここでの解釈において文化とは価値概念ではなく、人間の生活に基づく実態を伴ったものであり、何かと比較をして優劣を決めようする態度とは全くもって無縁の世界である。

ここまでをまとめると、スポーツ史学およびスポーツ人類学といった2つの学問的アプローチに共通しているのは、スポーツと人間との関係性に注目して、私たち人間がいかなる存在なのかを見出そうとするとても壮大な営みであるという点だ。

現代において、スポーツに対する世間の関心は健康や教育といった視点からも年々高まっている。特に日本においては近年、スポーツ界にある課題や問題が浮き彫りとなる事件や出来事が増えており、今まさにスポーツの価値とは、スポーツとは何かということが多くの人々に問われるようになっている。こうした問いに真摯に答えようとするのであれば、これらの学問的なアプローチをとることは極めて有効な手段となり得るだろう。

スポーツの起源を知り、その歴史的変遷を知ることがスポーツの今を知ることに繋がり、ひいてはスポーツそのものの存在を自分なりに定義し解釈することに繋がっていくだろう。こうした一見非効率的にも見える営みが、長期的に見ればスポーツの価値を高め、未来の人類にとって偉大なスポーツ文化を継承していくといったことにも繋がるのではないだろうか。

スポーツの起源

ここからは学問的なアプローチとしてのスポーツ史学、スポーツ人類学の観点からスポーツの歴史に迫っていくこととする。先に断っておくと私は学者でもなければ研究者でもないただただバレーボールが大好きな日本人である。そのことを頭の片隅に置きながら、優しい眼差しでズブの素人である私なりの分析や考えをお読みいただけると幸いである

それでは、早速スポーツの起源について探っていこう。

スポーツの起源について調べてみると諸説あるが、記録として残されているものでも古いものだと先史時代までに遡る。先史時代からスポーツが存在していたということには驚きを隠せない

人類は文明や文化を長年かけて発達させ、社会システムやテクノロジーなどあらゆるものを生み出してきた。しかし、スポーツはそれらよりも遥かの昔の先史時代には既に生み出されていたのである。これが意味することは、スポーツは人類にとって本質的で必要不可欠な存在であるということである。

さて、スポーツの起源というところに話を戻そう。記録が残っているという条件でスポーツの起源を探ってみると、初めてスポーツの試合が実施されたものとして有名なのがレスリングである。ある文献によると、レスリングは紀元前1700年〜紀元前1400年頃、古代ギリシャにおける人気競技のひとつであったようだ。地中海に浮かぶクレタ島で行われていたという記録が残っている。

また、だれもが歴史の授業の中で四大文明として学んだであろう古代エジプトでも、レスリングが行われていたことを示す壁画が、ナイル川東岸にあるベニハッサン村の洞窟で発見されている。この壁画は紀元前2100年頃のものと推測されており、先に紹介した古代ギリシャの記録よりもさらに古いものである。

このように遥か昔の先史時代から今に至るまで脈々と途絶えることなく人類とともに歩んできたスポーツの歴史に想いを馳せると、そこには感動さえ生まれる。そして、スポーツと人間の間には切っても切れない「何か」が存在するということを感じずにはいられないのである。

Saika Yuta
written by

1987年生まれ。小学1年でバレーを始める。小·中学校時には計4回全国大会に出場。中学3年時は香川県代表の主将としてJOC出場。高校では、進学校にて春高出場を目指す。大学進学を機にバレーから離れるが高校教員となりバレー指導に没頭するように。そんな日々の中、バレー選手になるという夢を諦めきれていない自分に気がつき、教員を辞めバレー選手となるためドイツ·ベルリンへ。生活基盤が整い始めた矢先、息子が大怪我をして急遽帰国。息子の回復後は北海道へ移住しクラブを設立し、コーチングを生業とするように。その後、縁あって仙台市を拠点に活動するリガーレ仙台(当時:V2リーグ)のヘッドコーチに就任。ワンシーズン指揮を執る。2024年7月より、シンガポールの育成クラブにてコーチング活動に従事。

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