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ライフ・ワークはバレーボール探求。本サイトでは、バレーボールに関する情報を発信しています。また、バレーボール・アカデミーの経営・コーチングをしています。

【資格】国際バレーボール連盟(FIVB)公認コーチ Level2/日本スポーツ協会 コーチ4/バルシューレジャパンC級指導者/中高教諭1種免許(英語)

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2つの視点から観るトランジション

バレーボールの競技性というものを眺めてみると、その一つにネットを挟んでボールをヴォレーし合うというものがある。当然ながらプレーヤーはネットを越境することはできず、唯一ネットを越境することが許されているのがボールである。そして、ボールがプレーヤーによってヴォレーされ、幾度もネットを越境する。

プレーヤーは強烈なヴォレー(オフェンス)によって得点を獲得しようとし、またその強烈なヴォレーを自コートに落とすまいとヴォレー(ディフェンス)し、得点されることを防ごうとする。この「攻防(ラリー)」がバレーボール最大の魅力とも言える。

さて、唐突にバレーボールの魅力について冒頭から熱く語ってしまったわけではあるが、このバレーボール最大の魅力である攻防の解像度を上げていくためにその狭間にある『モノ』の本質を観察していこうというのが、本記事の趣旨である。

オフェンスとディフェンスの狭間にあるトランジション(移り変わり)

バレーボールに焦点を当てる前に少し視野を広げて球技スポーツの攻防について考えていきたい。

多くの球技において攻防は存在するものであるが、球技によってその攻防の在り方は下記3パターンに分けられると考えている。以下の通りである。

1. 攻防のトランジションがルールによって明確に規定されている(野球・アメリカンフットボール)
2. 攻防のトランジションがカオス(無秩序)的である(バスケ・サッカー)
3. 攻守のトランジションがコスモス(秩序)的でもあり、カオス的でもある(バレーボール・テニス)

さて、それではそれぞれを具体的に説明していこう。

まずは「1」について具体例を用いて説明していく。
例えば野球。ゲームの始まる前に先攻と後攻が決められる。攻撃するときは攻撃に徹し、守備するときは徹底的に守備に徹する。これが野球のルールである。攻守の移り変わりは「スリーアウト・チェンジ!」の一言である。誰がどう見てもどこで攻防の移り変わりが起きているのかは明白だ。

では次に「2」について具体例を用いて説明していく。
例えばサッカー。バレーボールと比較して考えると分かりやすいかもしれない。サッカーにはネットが存在しない。つまり、バレーボールのように相手コートと自コートを分断するものは何もない。そのため、バレーボールのようにボールがどちらのコート側に位置しているか(ボールを支配できる状態にあるか)という視点からオフェンスとディフェンスを明確に判断するということが難しい。

また、オフェンスなのかディフェンスなのかを判断するには、どちらのチームがボールを所持している(ポゼッション)か否かという部分を観察するのが懸命だろう。ボールを所持しているほうがオフェンスで、所持していないほうがディフェンスと考える方法である。しかし、どちらのチームもボールを所持していないような状況も当然存在する。この状況においては、もはやオフェンスなのかディフェンスなのかを判断することすら難しそうである。

さらに、ボールを所持し自チームのプレーヤーにパスを出したが、間に相手チームのプレーヤーが入ってきてボールカットされてしまったという状況もゲーム中には多分に起こり得る。予期せず瞬時にオフェンスとディフェンスは移り変わることも日常茶飯事だ。

このように、ボールに視点をおいてサッカーのオフェンスとディフェンスの移り変わりを眺めていくと、極めてカオス(混沌状態)的だと言えるのではないだろうか。

最後に「3」についてバレーボールを具体例にとって考えよう。
オフェンスとディフェンスの移り変わりについて、上記具体例の野球とサッカーのどちらの球技に近しいかといえば後者と言えるだろう。

バレーボールには当然ながら、野球のように明確に先攻と後攻という明確な移り変わりはないからだ。ではサッカーと同じかと言えばそうとは言えない。サッカーとバレーボールには決定的な違いがある。それは先述した通り、ネットの存在があるということである。ネットの存在によってサッカーのように相手チームのプレーヤーと交錯するということがあり得ない。ネットを越境することができるのはボールだけである。

バレーボールに関して言うと、自コート上にボールが浮遊している間はボールを支配することができるが、ボールがネットを越境してしまえば、ボールを支配することは超能力でも使わない限りは不可能である。

このように、ボールに視点をおいてオフェンスとディフェンスの移り変わりを観ていくと誰がみても明確なトランジションを定義することができそうである。ネットのないサッカーよりは攻防のトランジションはシンプルになりそうだと予測ができる。

しかし、攻防のトランジションを本質的に理解しようとするのであればボールの動きに注目するだけでは不十分だと言えるかもしれない。なぜなら攻防のトランジションの本質を本気でつかもうとするならば攻防(オフェンスとディフェンス)とは何か?ということから定義しなければならないからだ。

「オフェンスかディフェンスか?」の問いに対しては、実際のプレーの名称(アタックやレシーブ)から判断すれば容易に答えられるような気もする。しかし、もう少し突き詰めて考えてみると、プレーの名称はあくまで客観的にバレーボールの説明や議論をするために付けられたものでしかない。誤解を恐れずに言うのであれば、プレーを現象面から見て名付けたものに過ぎないのだ。

「オフェンスかディフェンスか?」の問いに本質的に答えようとするのであれば、その答えを持っているのはそのプレーを遂行したプレーヤーのみぞ知るというのが正解である。つまり、オフェンスなのかディフェンスなのかはプレーヤーの意識なのである。

具体例をあげて考えてみよう。例えばこうだ。

周囲からはスパイクを打っているように見えても(オフェンスのように見えても)プレーヤーの意識ではオフェンスではない(プレーヤー本人はただ無難に相手コートに返球しているだけ)という状況である。

他にも実際のゲームで起こり得る様々な状況を思い描いてみてほしい。プレーの名称に惑わされることなく、プレーヤーの意識・意思・意図を観ようとしてみれば、どのプレーがオフェンスで、どのプレーがディフェンスなのか。また攻防のトランジションはどこで起こっているのかを客観的に定義するのは極めて難しいと思えてくる。

2つの視点から眺めるトランジション

さて、話がかなりややこしくなってきた感は否めないが、ここからはバレーボールの攻防におけるトランジションについて先述の内容も踏まえながら整理して考えていきたい。

まず何か一つの物事の本質を探ろうとする際には単一視点ではなく複数視点から眺めることは重要である。ここでは、バレーボールのトランジションを多面的に観ていくためにも2つの視点からトランジションを考えていきたい。

1. ボールに視点を置いたトランジション
2. プレーヤーの意識に視点を置いたトランジション

では、まずはボールに視点を置いたトランジションについて考えていきたい。

ボールに視点を置いたトランジション

まずは次の図を見てもらいたい。

スクリーンショット 2020-09-30 16.50.13を拡大表示

バレーボールのプレー局面をできる限りシンプルに表した図である。

ボールがコート上に浮遊しているチームがオフェンス局面。その逆がディフェンス局面である。到ってシンプルな考え方で、誰が見ても客観的に理解できる。

では、ここで問題となるのがトランジションである。ボールに視点を置いた場合、トランジションはどこに存在していると言えるだろうか。

その答えは、ボールがネットを越境するその瞬間。まさに一瞬。図ではトランジションの境界面を黄緑色の線で表現している。この境界面を越境する瞬間がまさにトランジションと言えるのではないだろうか。

ボールを視点に置いたトランジションは極めてシンプルに考えることができるのがメリットである。

プレーヤーの意識に視点を置いたトランジション

ボールに視点を置いたトランジションについては理解しやすいものであったと思う。誰が見てもそこ(ネット上)でトランジションが起こると判断できる。こうした誰とでも共有可能な視点があることの重要性を忘れてはいけない。

しかし、トランジションの本質を捉えるためにはプレーヤーの意識に視点を置いたトランジションについて深く考察することが欠かせない。このトランジションはボールに視点を置いたそれとは違い、客観的に判断することが難しく共有することも難しい。理解もしづらい概念であることを先にお伝えしておきたい。

しかしながら、精一杯の解説をしていくのでついてきていただきたい。

ではまずは下記の図をご覧いただきたい。

スクリーンショット 2020-10-01 7.46.34を拡大表示

図について丁寧に解説をしていきたいと思う。

まずは、プレーヤーの意識に視点を置いたトランジションということではあるが、ここが意味することをもう少し具体的に言うと、プレーヤーの意識がオフェンス状態にあるのか、それともディフェンス状態にあるのかという点を観察し、その移り変わりがどこで起こっているのかを見ていこうという話である。

そのため、ここではプレーヤー・コンシャス・ベイスド(プレーヤーの意識をベースにした)のトランジションという題名にした。

上記の図であるがこれはプレーヤーの意識、つまり脳の中身を表現したものだと理解していただければ幸いである。

そして、半分で色が分かれているが、青色部分はボールに視点を置いたディフェンス局面、赤色部分がボールに視点を置いたオフェンス局面である。この色分けはあくまでボールが相手コート側に浮遊しているのかそれとも自コート側に浮遊しているのかを示しただけのものである(しかしながら、ラリー中に起こっていることについて考えるときにこの色分けがジワジワと効いてくる。これが複数の視点から同時に一つの物事を観察する際のメリットとも言える)。

次に言及すべきは「First Volley」「Last Volley」についてである。

まず「First Volley」だが、これはファースト・タッチを示している。そして、「Last Volley」はラスト・タッチを示している。バレーボールは3回以内での返球がルールで定められているが、必ずしも3回で返球する必要がないということからこのような表記にしている。

さらに、図中に表現されている「ポジティブ・トランジション」と「ネガティブ・トランジション」についても説明をしておく。ここで示しているポジティブ・トランジションとは、ディフェンスの意識からオフェンスの意識へ移り変わる瞬間のことを意味している。そして、ネガティブ・トランジションはその逆で、オフェンスの意識からディフェンスの意識へ移り変わる瞬間のことを意味している。

さて、ここまででようやく共通認識ができたように思う。プレーヤー・コンシャス・ベイスドのトランジションについて考察を深めていく準備がようやく整った。

では、まずはポジティブ・トランジションについて考えていこう。ここで問うべきことは一つ。

どのタイミングでプレーヤーはディフェンスの意識からオフェンスの意識に移り変わるのだろうか?

あなたの経験から様々なプレー局面を思い出してほしい。プレー経験のある読者であればぜひ自身のプレーを振り返ってどのタイミングで意識は移り変わりをしているのだろうか思い巡らせてみてほしい。

答えは出ただろうか。

早速だが答え合わせをしていこう。

プレーヤーの数だけ答えがある。これが答えである。

具体的な場面を想定して考えてみよう。相手チームのアタッカーが3本目にハーフ・アタックをヒットする瞬間を思い描いてほしい。

自チームのAプレーヤーは、このハーフアタックはフリーボール(いわゆるチャンスボール)として処理することが可能だと判断し、攻撃参加の体勢を整えいつでも助走できる準備をしようと動き始めている(オフェンスの意識)。このとき、Aプレーヤーの意識ではポジティブ・トランジションが起こっていると言える。ボールを視点に置いたトランジションではまだ、ディフェンス局面であるにもかかわらずである。

しかし、

自チームBプレーヤーは、相手アタッカーにアタックを打たれていると感じており(オフェンスされていると感じており)、レシーブをなんとかして上げようとポジショニングをとってディグすることに意識が集中している(ディフェンスの意識)。このとき、Bプレーヤーの意識では、まだポジティブ・トランジションは起こっていないと言える。

このように、プレーヤーの意識の中まで覗き込んでみると、プレーヤーの意識に視点を置いたトランジションのタイミングはプレーヤーによってバラバラであることが往々にして起こると理解できる。

ここでさらに、図にある「ポジティブ・トランジション最速地点」との表記に注目していただきたい。最もはやくポジティブ・トランジションが起こるタイミングはボールを視点に置いた際のディフェンス局面にあるということは注目すべき点である。先述のAプレーヤーの意識を思い出してもらえば、これに該当することが分かっていただけるだろう。

つまり、ボールに視点を置いたトランジションとプレーヤーの意識に視点を置いたトランジションにはズレが生じるということである。

ここで起こるズレは時間で言うと1秒、場合によってはそれよりも短い時間(ほんの一瞬)なのかもしれないが、この短い時間のズレが生むプレーの結果への影響は決して軽視できるものではない。適切かつ最速のタイミングでプレーヤーの意識に視点を置いたポジティブ・トランジションを起こすことがゲームを優位に運ぶ上で重要である。

最後にネガティブ・トランジションについても考えていきたい。プレーヤーの意識に視点を置いたネガティブ・トランジションは、ボールを視点に置いたトランジションのタイミングとかなり近いタイミング(ほぼ同時)に起こっていると考えてよさそうである。

プレーヤーの意識に視点を置いたネガティブ・トランジションは最終返球時、つまり「Last Volley」が完了した瞬間に起こると考えるのが自然だろう。

そして、「Last Volley」が完了し、ボールがネットを越境する瞬間、ボールに視点を置いたトランジションが起こるのである。

繰り返しにはなるが、ここで起こるプレーヤーの意識に視点を置いたネガティブ・トランジションとボールに視点を置いたトランジションのタイミングの差はほとんどなく、ほとんど一致していると考えてもいいのかもしれない

また、蛇足ではあるかもしれないが、プレーヤーの意識に視点を置いたトランジションが一切起こらないまま自コートから相手コートへボールを返球しているということも実際のところ起こり得る(特に初心者レベルのゲームでは起こりがちである。例えば、ただボールを相手コートに返球することだけしか考えていないといった場合、プレーヤーの意識に視点を置いたトランジションは起こっていない。ボールに視点を置いたトランジションのみ起こっている状態)。

チーム内プレーヤーの意識が一致したときに何が起こるのか

ここまで読んできてくれた非常に粘り強い読者には心から感謝をしたい。

ここまで読んでいただき感謝しかないが、最後に非常に重要な問いが残っているのでここに提示したい。

同チーム内のプレーヤーであっても、意識の上ではオフェンスとディフェンスのトランジションにはズレが生じている可能性がある(というより確実にズレは生じる)。

このことについては頷いてもらるだろう。

しかし、この事実をじっくりと眺めていると極めて重要な問いが生まれてくるように思う。それは、次のようなことである。

チーム内の各プレーヤーのトランジションの意識はチームとして統一される方向性が良いのだろうか?それとも、それはプレーヤーに委ねられるべきなのだろうか?

(ようやくトランジションの本質、いやバレーボール・ゲームの本質にも触れるような問いに到達することができた。)

さて、この問いに答えるためにはボール・ゲームの本質について言い当てた素晴らしい表現があるので、この表現を借りて考えていきたいと思う。ボール・ゲームの本質を言い表したものである。ある論文の引用である。

ボールゲームの本質は, 「ルール」によって規定された「技術」と「戦術」を有機的に結びつけて「勝つことの工夫」を楽しむことにある。

各種ボールゲームを貫く戦術(攻撃課題)の系統性の追求

プレーヤーの意識を統一するか否かという問いは、上記表現の中にある「戦術」の根幹を為すものである。もっと言うと、チーム内のプレーヤーの意識を統一することはいわばチーム戦術そのものとも言える。

さらに、バレーボールの本質が何かを考えていく上でバレーボールの定義にもここでは触れておきたい。

バレーボールとは3本以内のチーム・ヴォレーで、ネット奥の相手コート[ゴール]にボールを接地させようと(自コート[ゴール]にボールを接地させない)ラリーをするゲームである。

3本以内のヴォレーという厳しい回数的・時間的制限の中で、ネット奥の相手コート[ゴール]にボールを接地させようと(自コート[ゴール]にボールを接地させない)という目的を達成するために、プレーヤーは適切なタイミングでトランジション(プレーヤーの意識に視点を置いた)を「起こし」て、最適解を出し続ける(最高のプレーをする)のがバレーボール・ゲームであるとも言える。

さて、ここでもう一度先ほどの問いに立ち返ってみよう。

チーム内の各プレーヤーのトランジションの意識はチームとして統一される方向性が良いのだろうか?それとも、それはプレーヤーに委ねられるべきなのだろうか?

もう答える準備はできているだろう。

チーム内プレーヤーの意識は統一されるべきである

チーム戦術としてプレーヤー全員のトランジションの意識を統一することで、初めてチーム・ヴォレーが有機的に行われると言えるのではないだろうか。そして、ラリー中にどこでチームとしてのトランジションを「起こせる」か?が、そのチームらしさを表現しているとも言えるのではないだろうか。

そうなのだ。

トランジションは自然に起こるのではなくチームとして同時に「起こす」のである。

逆にプレーヤーのトランジションの意識がバラバラの状態でゲームをしているところを想像してみてほしい。

厳しい言葉で言うならば、それはチーム・ヴォレーではない。もっと言うならチーム・スポーツではない。一緒にプレーしているように見えても、一つ一つのプレーが有機的に結合した状態とはとてもいえない。

それはチームの「ように」見えるだけであって、チーム・ライクである。それぞれが、自分のやりたいように自分の理想を追求するソリストがコート上で好き勝手に演奏しているだけでしかない。

「ソリスト」という言葉から次の言葉を思い出すバレーボーラーは多いのではないだろうか。バレーボール男子の元ブラジル代表チームベルナルド・レゼンデ監督の言葉である。

『選手はソリストではなく、オーケストラの一員』

彼の言葉はバレーボールの、そしてトランジションの本質を見事に突いている。

バレーボールをプレーしていて(観ていて)完全にチーム・プレーが調和していると感じるときがあるだろう。また逆もしかりで、調和が一切感じられないようなときもあるだろう。この現象について、なんとなく「チームがバラバラだ」「声が出ていない」「一体感がない」みたいな抽象的な言葉で片づけられていることがほとんどである。そのため、それ以上解像度を高めることはできておらず、改善の余地がないと思われる。

しかし、プレーヤーの意識に視点を置いてトランジションをじっくりと眺めてみると、そのチームがなぜオーケストラのような芸術的なプレーをしているのか、逆に個人プレーの集積にしか見えないようなプレーをしているのかがわかってくる。

2つの視点からトランジションを観ることの意味

誰が見ても明確に判断できるトランジションを定義しようとすれば、ボールに視点を置けばいい。しかし、この単一の視点だけではゲームの中で本当に何が起こっているのかを本質的に理解することは難しい。

実際にゲームの中で何が起こっているのかを知るには、そのゲームをプレーしているプレーヤー達の意識に注目しなければならない。すべてのプレーはすべてプレーヤーの意識、そして意識から生まれる意思や意図があってこそ初めて実現されるのである。

ボール・ベイスド・トランジションとプレーヤー・コンシャス・ベイスド・トランジション。

この2つの視点をもってバレーボールを眺めることができれば、バレーボールをもより俯瞰的に本質的に観ることができるようになるのではないだろうか。

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