コーチングについて考えたことのある人であれば、一度は「褒めるということ」について真剣に考えたことがあるだろう。
近年では、「褒めて伸ばす」という言葉がいろんな場面で聞こえてくるようになったように思う。
この「褒めて伸ばす」という言葉を聞いて、嫌な印象を受ける人はおそらく少ないのではないだろうか。
しかし、その褒め方やその目的によっては、逆にその人間の成長を阻害しかねいということもあるということをコーチは理解しておかなければならないと思う。
褒めるということ
「褒める」の定義を先に確認して共有しておきたい。以下、広辞苑から抜粋してみる。
(1)祝う。ことほぐ。祝福する。
広辞苑
(2)(同等または目下の者の)行いを評価し、よしとしてその気持ちを表す。たたえる。賞賛する。
なるほど。
まず(1)について。早速「褒める」いう行為に対して抱いていたものとは違った印象を受けてしまう(良い意味で)。
褒めるとは祝福するということなのだ。なんとも素敵な響きである。
では(2)について。ここの説明についても重要な箇所がある。「(同等または目下の者の)」という注意書きがある。
個人的ではあるが「褒める」という言葉に対して、目上の者から目下の者に対しての行為だという認識が少なからずあった。確かに「褒める」には、その意味も含まれているのだが、この定義を見ていると「同等」という言葉が入っている。対等な関係にあったとしても「褒める」という行為は起こり得るというわけである。
正直なところ、この定義を読むまでは「褒める」という言葉(表現)が好きではなかった。しかし、これからは「褒める」という言葉を使ってみてもいいかなと思っている。
「褒める」とは、対人関係における祝福であり、決して上位の者が下位の者に対して行う行為に限定されるものではないのだ。
能力を褒めるのか。それとも、努力(態度)を褒めるのか。
さて、ここからは「何を」褒めるのについて考えていきたいと思う。
「何を」褒めるのかが極めて重要であることを示す実験があるのでここに紹介したい。
スタンフォード大学の心理学教授であるキャロル・S・ドゥエック(Carol S. Dweck)が行った実験である。
思春期初期の子どもたち数百人を対象に知能検査の難易度の比較的高い問題を10問実施。結果、多くの生徒がそこそこの成績。
そして、試験後に褒め言葉をかける。褒めるにあたって生徒を二つのグループに分ける。
一方のグループではその子の『能力』を褒める。
もう一方のグループではその子の『努力』を褒める。
グループ分けをした時点で、両グループの成績はまったく等しかった。
その後、生徒に新しい問題を見せその問題に挑戦するか、もしくは同じ問題をもう一度解いてみるのか、どちらかを選ばせるという実験を行う。
すると、二つのグループの間で明確な差が出る。「能力」を褒めたグループは新しい問題を避けて同じ問題を解こうとする傾向が強くなった。
一方、「努力」を褒められた生徒は約9割が新しい問題にチャレンジする方を選んだ。
なるほど!
「能力」を褒められると、無能だと思われることを恐れ成長のためのチャレンジをしない。
しかし
「努力」を褒められると、失敗を恐れず成長のためのチャレンジを自発的にしようとする。
一見、同じ「褒める」という行為であるが、その「何を」が違うとこうも結果が違ってくるのである。
「努力」を観察する姿勢と能力
「努力」を褒めることが、失敗を恐れずに挑戦する人間を育成するということは先で紹介した実験からも分かってもらえたと思う。
しかし、「努力」を褒めるというのはそう簡単なことではないことをここで明確にしておきたい。「努力」を褒めるには、その「努力」を観察する姿勢と能力が必要だからだ。もし十分な観察をすることなしにいい加減に褒めるならば、その「褒める」という行為の価値は低いと言えるだろう。というよりむしろそれは害悪ですらあり、信頼関係を毀損することもあるかもしれない。
相手の「努力」を褒めるのであれば、相手の能力がどれくらいのものなのか、相手は今何に意識を向けているのだろうか、どんな性格の持ち主なのだろうか、今どんな気持ちでいるのだろうか、と心から相手に興味を持っって接し、丁寧に観察をしないと、その相手の「努力」が一体何なのかということは分からない。
「褒める」には真摯にその「努力」を観察しようとする姿勢と能力が必須なのだ。
何のために褒めるのか
さて最後に。何のために褒めるのか?
ここについては最も重要なところである。もっとシンプルな問いに変えよう。
褒めるのは自分のためか。それともプレーヤーのためか。
自分が相手をコントロールしやすくするためか。それともプレーヤーが失敗を恐れずに挑戦する勇気を持てるようにするためか。
なぜ褒めるのかについて今一度真剣に考えてみてはどうだろうか。
世間や周りの空気感から「とにかく褒めとけば間違い無いだろう。」みたいな雰囲気を感じることも多いように思う今日この頃である。
もしも、なんとなく「褒める」行為をしているのであれば、時間をとって内省してみる価値は十分にある。
私自身も、この記事を執筆しながら猛省する機会を得たところである。
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