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【資格】国際バレーボール連盟(FIVB)公認コーチ Level2/日本スポーツ協会 コーチ4/バルシューレジャパンC級指導者/中高教諭1種免許(英語)

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要素還元主義的アプローチの危険性について考えてみた

面白い記事があったので紹介したい、、、

参考記事:自転車に補助輪はムダ。「コンテクスチュアルトレーニング」とは何か?

footballista web版

のだが、残念ながら上記の参考記事は有料である。

ただ、無料で読める部分だけでも面白い話が書かれていたので、その部分にフューチャーし、考えたことをまとめてみたいと思う。以下、一部引用する。

(前略)例えば、子供が自転車を乗れるようになるには、(ケガを予防するために)補助輪をつけたらダメなんです。ランニングバイクの方が早く乗れるようになる。なぜなら、自転車を乗るコツは、進むことよりもバランスを取ることが優先だからです。だから教える場所も、上りではなく下りで教えるんですよ」

――言われてみると確かに。でも、親は子供にケガをさせたくないので、まず補助輪から慣れさせようとしがちですよね。

 「ところが補助輪をつけるとハンドルを逆に回すようになってしまって、外すと転んでしまうわけですよ。 子供は補助輪をつけていても最初こそ楽しいかもしれませんけど、スピードが出なかったり、曲がれなかったりして次第に楽しくなくなってしまう。だから、『父さんは(自転車を)持ってるぞ』って言いながら漕がせて、実は持ってないのがいいんですよ。それがコーチングです

footballista web版

自転車を乗りこなすことの本質はバランスをとること

なるほど。なるほど。ストライダー(ライニングバイク)から補助輪なしの自転車への移行がスムーズそうだというのは、経験的に感じていたがそうゆうだったのか。

自転車を乗りこなすことの本質はバランスをとることであり、推進力を生むという作業よりも、2輪という不安定な乗り物のバランスをとるという作業のほうがより重要であるということなのだ。

こうして、言語化してみると自分自身の経験とも合致し、とても腑に落ちる。

「補助輪」という名前の害悪装置から学ぶべきこと

では、私が自転車に乗れるようになるために、必死に補助輪をつけて練習したあの懐かしい日々は一体なんだったというのだろうか。

いや。そうか。なるほど。私がやろうとしていたことはこう説明できるのではないだろうか。

補助輪という人類が生み出した文明の力によって、自転車を乗りこなすためには極めて重要な「バランスをとる」という本質を取り除き、「自転車を濃いで推進力を生む」という作業に没頭していたのである。

しかし「バランスをとる」という本質を削がれた自転車に乗るための練習(トレーニング)効果は極めて低かったはずである。むしろ、記事の内容からすれば補助輪という文明の力は害悪ですらある。

補助輪のついた自転車を操る能力を高めることはでき得るだろうが、補助輪のついていない自転車に乗る能力は全然身につかないどころか、獲得できるようになる可能性は下げているとさえ言えるだろう。

私自身、補助輪なしに自転車に乗れるようになるまでどれくらいの時間がかかったか正直はっきりとは覚えていない。しかし、人よりも多く時間がかかったことは言うまでもない。

「補助輪」という名前の害悪装置から学ぶべきことは、全体の一要素を削いでしまうことの危険性とでも言えるだろうか。

要素還元主義的アプローチの落とし穴

補助輪付自転車を利用した自転車トレーニングは、要素還元主義的アプローチの落とし穴にはまってしまった典型例とでも言えるのかもしれない。

要素還元主義とは多様で複雑な事象は単一の基本的要素に還元して説明せねばならないとする態度

この場合で言うと「二輪の不安定な乗り物を自在に乗りこなす」といった複雑な事象を「バランスをとる」「自転車を濃いで推進力を生む」といった単一の基本的要素に還元して、まずは「自転車を濃いで推進力を生む」ことをできるようにしようとしたところに落とし穴があったのである。

要素還元主義的アプローチによって、本質(ここでは、自転車のバランスをとるという要素)が省かれてしまった結果である。

要素還元主義型アプローチには、常にこうしたリスクが付きまとう。確かに表面上はうまくなっている(この場合、補助輪付自転車で上手に自転車が漕げる)ように見えることもあったりするが、実際のところは、当初の目的(この場合、自転車を自力で漕いでバランスをとる※補助輪なし)とは別のベクトルにその努力は向かっているため、目的が達成されることはないだろう。表面上は、上手くなっているように見えるあたりが非常に厄介でもある。

補助輪自転車を例に出したが、このような事象はスポーツ・コーチング現場の至るところで散見されるようにも思う。

一度バラバラにしたものを組み立てても元どおりにはならない

話は少し変わるが、生きていた魚をきれいに捌いて、内臓なども含めすべて綺麗にまな板の上に並べたと想像してみてほしい。そしてさらに、もう一度それぞれの部位を元あった位置に完璧に配置させると想像してほしい。果たして元どおりの生きた魚に戻るだろうか(いや、戻らないだろう)。もし、生きた魚に戻るならそれはファンタジーである。

これは、要素還元主義的アプローチを皮肉った一つの例である。一度バラバラにしたものをもう一度組み立てれば元通りになるというこん考え方は、その対象が静的というか無機的なものであるときには有効かもしれない。

しかし、その対象が動的であり、有機的なものであるときには有効ではないことが多いのではないだろうか。

自転車(補助輪なしの)に乗れるようになりたいなら、自転車(補助輪なしの)に乗るのがいい。

バレーボール・ゲームで上手にプレーできるようになりたいなら、バレーボール・ゲームをするのがいい。

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