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ライフ・ワークはバレーボール探求。本サイトでは、バレーボールに関する情報を発信しています。また、バレーボール・アカデミーの経営・コーチングをしています。

【資格】国際バレーボール連盟(FIVB)公認コーチ Level2/日本スポーツ協会 コーチ4/バルシューレジャパンC級指導者/中高教諭1種免許(英語)

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ボール・ゲームの本質を探る旅

突然だが、スポーツの中でも特にボール・ゲームと呼ばれるモノの本質を極めてシンプルに言い表した言葉に出会った。

大変感激したので、この言葉を起点に色々と考えたことをまとめてきたいと思う。早速、ボール・ゲームの本質を単純明快に言い表した表現を紹介しよう。

ボールゲームの本質は, 「ルール」によって規定された「技術」と「戦術」を有機的に結びつけて「勝つことの工夫」を楽しむことにある。

各種ボールゲームを貫く戦術(攻撃課題)の系統性の追求 -勝つことの工夫を学習できる一貫カリキュラムの構築に向けて-

何度見ても秀逸な表現である。

無駄な言葉が削ぎ落とされ、ボール・ゲームの本質だけが残った表現である。

「技術」と「戦術」のスタート地点は常にルールにある

先に紹介した表現について私なりの解釈について解説をしていきたい。まずは『「ルール」によって規定された「技術」と「戦術」』という点にフォーカスしたい。

ここで言いたいことはつまりこうだ。

「技術」と「戦術」が生み出されるスタート地点はいつでもルールである。逆に言うなら、ルールなしには「技術」も「戦術」も存在し得ないということだ。

言われてみれば当たり前のこと。そう思う方もいらっしゃるかもしれないが、この至極当然のことを正確に理解し、かつ意識して「技術」と「戦術」について取り扱うことができているプレーヤーやコーチは少ないのではないだろうか。

私たちは、いついかなるときもルールに対する正確な理解が、有効な「技術」や「戦術」を生み出す拠り所になるのだということを忘れてはいけないのである。

ルールとは絶対王政における「王様」である

では、ルールとは一体何だろうか。

「ルール」という言葉に説明が必要か?と思う方もいるかもしれないが、この言葉が持つルーツや複数の意味について知っておくことは重要だ。次のルールに感する説明を見てほしい。とあるインターネット辞書・辞典サイトを引用してものである。

ルール(英:rule)とは:
ラテン語の「rēgula」という単語が語源になっており、木の棒・真っ直ぐな棒・物差しを意味する。日本語では一般的に、規則や規定などと訳されることが多い。また、ルール(英:rule)は英語で動詞としても使われるが、その際の意味は「支配する、統治する」などがある。

ニコニコ大百科

「ルール」という言葉に対するイメージは変わっただろうか。

ここでは、特に「ルール」という言葉が動詞として使われ「支配する、統治する」といった意味で使われている点に注目したい。つまり、ルールとはそのボール・ゲームを支配する存在であるということである。

これをもし政治的形態に例えるのであれば、ルールとはスポーツ(ボール・ゲーム)における絶対王政における王様なのだ。支配者であり、統治者なのである。

このように考えてみると国民(コーチ・プレーヤー)はその国(そのボール・ゲーム)で生き抜くため(勝ち残るため)に、王様(ルール)の支配・統治に従って、うまく生活していく(プレーしていく)しかないのである。

ある意味では弱い存在なのかもしれない。

ルールは変えられない。だからルールを熟知するのだ。

では、絶対王政下で王様(ルール)の支配下におかれながらも、生き抜くため(プレーするため)にはどうすればいいのだろうか?(王様を変えるために市民革命を起こすとううのも一つの選択肢ではあるが。それは今回は考えないことにしよう。。。)

まずは、王様(ルール)について熟知することである。ここに議論の余地はないだろう。王様(ルール)は絶対なのだ。

さて、ここからは具体的な話を進めていくために、ボール・ゲームの一つであるバレーボールを例にしようと思う。

バレーボールのルールを文字通り覚えようとするならルールブック集を購入するのがいいかもしれない。ルールブックにはとにかく事細かく詳細まで書かれている。ルールブック集を手元に置いて、いつでも閲覧できるようにすることは大切だろう。

しかし、ここで歩みを止めてはいけないのである。ルールを熟知した先にはそれをうまく利用するという重要な仕事が待っているのである。

ルール理解のその先へ。「技術」と「戦術」が織りなすもの

それでは、ルールをうまく利用するとはどういうことなのか

ここで、本記事の最初に紹介したバレーボールの本質を言い表した表現が再登場する。そのまま引用すると次の通りである。

「ルール」によって規定された「技術」と「戦術」を有機的に結びつけて』

バレーボール・ルールの存在をもってして、バレーボール特有の「技術」が存在し得るのである。バレーボール・ルールの存在をもってして、バレーボール特有の「戦術」が存在し得るのである。

ルールありきの技術。ルールありきの戦術。

この2点を十分に理解しておけば、ゲームに勝利するために必要な「技術」や「戦術」が何かを発見することができるだろうし、その「何か」を身につけるためのトレーニング方法についても考えることができるだろう。

では、さらに話を進めていきたい。紹介した表現の中で最後に焦点を当てるべきなのが「有機的に結びつけて」の部分である。

この言葉が意味することは「技術」と「戦術」を切り離して考えてはダメだということである。「技術」と「戦術」を別個のモノとして捉え、それぞれについて考えるのではなく、これらは相互依存的な関係にあり、有機的な結びつきを持つものであることを理解しておかなければならない。要素還元主義的アプローチを避け、構造主義的アプローチが求められるのである(両アプローチについては下記参考記事を参照)。

参考記事:チーム・スポーツにおける構造主義的アプローチ(vs 要素還元主義的アプローチ)

「技術」は「技術」として身につける。「戦術」は「戦術」として身につける。そして、それらを最終的に合体させればうまくいく。これは要素還元主義的アプローチである。

こうした考え方は合理的で一見、魅力的に私たちの目には映る。

しかし、この考え方は大事な視点を欠いている。ボール・ゲームは常にカオス状態にあり、一瞬先のことでさえも正確に予測することができないのである。ボール・ゲームとは静的な存在ではなく極めて動的な存在なのだ。もっと言うならば「生き物」なのである。「生き物」であるボール・ゲームを一度バラバラにして合体させるというアプローチ(要素還元主義的アプローチ)をすればどうなるだろうか。その結果は火を見るよりも明らかだ。

つまり、ここで求められるアプローチは構造主義的アプローチである。「技術」と「戦術」は相互依存関係にあるものとして捉え、それらを有機的に、そして同時的に向上させていこうとするアプローチ、つまり構造主義的アプローチが求められるのである。

「技術」と「戦術」が有機的に結びつけることによって生み出されるもの。それがプレーヤーの、そしてそのチームの創造性なのだと私は思っている。

勝つための工夫とは自らの試行錯誤である

さて、本記事も終盤に入ってきた。最後に、紹介した表現の後半部分である『勝つことの工夫』について考えてみたい。これが意味することは何か。

私の解釈だと、これはプレーヤーの中から湧き出る自発性によってなされる試行錯誤である。

工夫するという行為は極めて人間的だと思っている。コーチからの指示通りにしか動けないプレーヤーに工夫はない。工夫はプレーヤーの内面から湧き出てくる自発性が原泉である。そうした自発性によって生まれる試行錯誤を通じてプレーヤーは自己修正を繰り返しながら成長し、勝利を目指すのである。まさにこれがスポーツの醍醐味と言えるだろう。

ボール・ゲームの本質は「楽しむこと」

さて、最後にもう一度紹介した表現を全文眺めてみよう。

ボール・ゲームの本質は, 「ルール」によって規定された「技術」と「戦術」を有機的に結びつけて「勝つことの工夫」を楽しむことにある。

私がこの表現に心惹かれる最大の要因として『楽しむことにある。』という言葉でバッチリ締め括られている点が挙げられる。

もし僕が、ボール・ゲームの本質をたった一単語だけで使って表現しなさいと言われば、間違いなく『楽しむこと』と表現するだろう。誰に強制されるわけでもなく、1つのボールを追いかけて何時間でもプレーできてしまうのは、楽しいからに他ならないだろう。

僕はやっぱりバレーボールが好きだ。

本記事では、バレーボールを愛する私の仲間から紹介してもらった論文の中で紹介されていた表現についてひたすら深堀りしてみた。このプロセスから分かったことは心の底からボール・ゲーム、とりわけバレーボールが大好きだということだ。それがわかっただけで大満足である(なんじゃそりゃ)。

新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて、バレーボールができない状況が長く続いている。正直辛い。でも、これはバレーボールの神様が「この有り余る時間を使って今一度バレーボールとは何かを本質的に考えてみなさい。」と言っているのかもしれない。

バレーボールが当たり前にできていれば、もしかすると今回のような記事を書こうと思わなかったかもしれない。ある意味、バレーボールについて本質的に向き合っているのは今なのかもしれない。いろんな意味で大変な時期であることに間違いはないが、この時間には大きな価値があるのだと思う。

バレーボールがまたできるようになったら、あの時にバレーボールについてじっくり考えることができてよかったな!そんなふうに思えるようにしたい。

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