価値と聞いて何を思い浮かべるだろうか。
人によってそれは様々だと思う。私が価値という言葉を聞いて思い出すのは、あるCMで言ってたワンフレーズである。
お金で買えない価値がある。プライスレス。
確か、クレジットカード会社のものだったと思うがなかなかうまいこと言ったものだと思う。
さて、この記事を書こうと思ったきっかけは度々話題になっている仮想通貨を始めてみて気が付いたことがあったからである。
仮想通貨と聞いて、真先に怪しいと感じた人は結構いるのではないだろうか。この言葉を初めて聴いてから一年以上が過ぎ、ようやくグーグル先生に質問することで怪しいものというイメージから一転した。
仮想通貨という言葉だけで怪しいと自分を洗脳するのはまさに思考停止としか言いようがないと思う。人は未知のものにはとにかく恐怖を覚えるよう遺伝子レベルで設定されている。だから、そこを乗り越えることが大事になってくる。原始時代の人間が新しく出会うものに恐怖を持つのは理解できる。しかし、これだけ先人が学び、蓄積してきた情報へ誰もが簡単に無料でアクセスできる今の時代、怪しいから近づかないというのは原始時代に逆行していると言ってもいいのかもしれない。当時のような危険な世界と今の世界はまったく別物だ。
さて、少し話がそれてしまった感があるが、これは私の思考のクセとも言えるのでそこはご愛嬌ということで話を価値に戻していこう。
私が仮想通貨を調べていく中で衝撃的だったのが、超基本情報である通貨の発行者(管理者)がいない。通貨の発行上限が定められているということだ。これがどういうことかは、法定通貨と比較してみると非常に分かりやすい。例えば、日本円で考えてみよう。
日本の法定通貨である円の発行者(管理者)は日本銀行。日銀が発行しようと思ったらいくらでも発行できる。例えば、日銀が大量に円は発行したとしよう。そうすればお金の価値は下がる(インフレ)。つまり、第三者によってお金の価値が操作されることが前提にあるのが法定通貨である。
これに対して、仮想通貨はコンピューターが自動的に通貨を発行し、発行上限額が予め決まっている。つまり、価値を管理者によって操作されるリスクがない(他のリスクは存在するだろう)。
この仮想通貨に関する超基本知識を得た私は相当な衝撃を受けた。そもそも、お金に関するリテラシーの低い私からすると日本円は絶対的に価値があるし、これから先もずっと貯金していれば価値を保存できると漠然と思っていたのだ。ただ、少し考えてみれば分かるのだがそんなはずはない。
こうして仮想通貨に衝撃を受けたことをきっかけに、様々な物やサービス、もっと言うとありとあらゆるものが持つ価値に対して疑いを持つようになってしまった(決してネガティブな意味ではなく)
また、ブランド品を例に出して考えてみよう。私は、比較的ブランド物に弱い人間だと思っている(かといってブランド品をたくさん所有したいとは思っていない)。同じような見た目で、同じような機能を持っているようなものでも、ブランド品になると10倍、20倍と値段が上がることはよくある。このことは価値について考える上で分かりやすい事例だと思う。
言い方は悪いかもしれないが、ブランド品というのはそれを販売する側の人間によって価値が操作されているところは少なからずあるだろう(少なからずではないことが多い)。そして、価値の操作手段としては巧みなマーケティングであったり、販売員の商品解説であったり、パッケージであったりするわけである。そうした幾多の価値の捜査によってブランド好きな人たちは、その価値を信じて購入するわけである(決してブランドを否定しているわけではない)。
ダラダラと長々と書いてしまったが一気に結論に向かおう。
仮想通貨からブランド物の話を通して私が伝えたかったことは以下の通りだ。
実社会の中で私たちは、常にあらゆるものに価値判断を下している(ように見える)。しかし、実際のところ私達が日々使っている日本円でさえも日本銀行によって操作されている。日々、あたかも自分で価値を判断して様々な行動(購買など)をしているようだが、実は多くの場合、他者によって自分にとっての価値観を操作されているのだ。
だから、意識的に人に操作された価値を今一度スルーしてみよう。そして、自分にとって本当に価値があるのかをゼロベースで考えてみよう。
これは口で言うのは簡単だけれども、実際やるのは難しい。それは既に自分自身にとって価値あることだと思っていることさえもすでに他社によって操作された価値であることが多い。
今日の話はモノを買うといった購買活動に限った話ではない。
有限なる時間を誰と過ごすのか。何をするのか。
もっと人生全般に関わる大きな話だと思っている。