種を蒔く人。種を蒔かない人。

教員生活を過ごす中で意識していた言葉がある。

教育は種を蒔くようなものである。

具体的に言うと、こういうことだ。

授業中に発する一言。雑談の中での何気無いやりとり。この「一言」や「やりとり」が種蒔きである

これらの種蒔きが、その瞬間瞬間において理解されなくても、特に意味を感じていなくても「OK」いう態度を大切にしてきた。

しかし、常に頭の中には

「いつかその生徒の人生のどこかで、その「一言」が思い出され、理解できる瞬間があればいいな!」

とか

「いつかその生徒の人生のふとした瞬間に、「何気無いやりとり」を思い出して、それが自分の人生にとってプラスであったな!」

と感じてくれる瞬間があれば嬉しいなと思ってきた。

この種蒔きで重要なのは、

自分で種を蒔いていることを意識しているかということ。

蒔いた種が芽を出して、花開いたり、果実が実ったりするようなイメージを生徒の未来の中に描けているかと言うことが大切だと思っている。

教員としての種蒔き論について少しダラダラとここまで書いてきたが、ここからが本題である。

種蒔きをする人とそうでない人

本記事は「種蒔き」がテーマではある。

この記事中でお伝えしたいことは、

日々、種蒔きをしよう。
そして、「種から芽が出て、花が咲き、果実が実る。」というところまでしっかり想像しよう。

ということである。

しかし、この種蒔きをしている人とそうでない人の割合を考えてみるとどうだろうか?

おそらく、圧倒的に種蒔きをしていない人が多いのではにだろうか。

なぜ、そうなってしまうのだろう。

社会人(サラリーマン)は種撒きを怠りやすい?

私自身の反省も兼ねて、この記事を書いているのだが、とにかく大学を卒業して社会人となってからは忙しさを理由に自分への種蒔きを怠っていたように思う。

もちろんその時々の仕事には精一杯向き合ってきたと思っているが、それ以外の時間で種蒔きが十分でなかったと思うのだ。

もう少し空いた時間で本を読んでみたり、今みたいに自分の考えていることを言語化してみたり、うまく時間を使えていれば、もっと種蒔きできていたように思う。

社会に出て8年が過ぎているが、もし一年目から種蒔きに精を出していれば、今頃は大きな果実を手にしていただろう。いや違いない。

今こうしてフリーランスとして働くときに、大きな果実を携えてスタートダッシュが切れていたのではないかと思う。

過去に対してあまり後悔の念を抱くタイプではないが、この一点については非常に後悔が残る

日々追われる仕事や雑事に目を奪われ、種を蒔くことを怠ると5年後、10年後に大きな後悔をしてしまう可能性がある。

種蒔きをしないのは最大のリスク

「今の勤め先にずっといるから、今の仕事さえしっかりしていれば、大丈夫。」

このように言う人、言わずともなんとなく思っている人がいれば、それはリスク以外の何物でもない。

何かに、誰かに守ってもらおうとする態度が一番のリスクである。

もし、自分の意思に叶った人生を生きていきたいのであれば、自分は自分で守る意思を強く持つ必要がある。

そのために、種蒔きを怠ってはいけない。

絶対に。今の「忙しさ」を言い訳に怠ってはいけないのだ。自分への自戒も込めて。

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